夏至をむかえて
2016年 06月 21日
ごきげんいかがですか?Fairytaleです^^
週末の猛暑はすごかった、前橋(汗)
たった1日アトリエに行かなかった日曜日。
ムスメがボランティアで頂いてきた黄色のマリーゴールドが枯れてしまいました。
キク科の育てやすい花といえども、この暑さでは耐えきれなかったのですね。
昨日の満月からの本日夏至。
モヤモヤ期間から通り抜け、霧が晴れたというわけではありませんが、そろそろやることやらないといけないな、、という空気感になってまいりました。
人はいつだっていい状態であるなんてことはないのですが、ついつい自分の求めた結果でないことに苛立ちを感じてしまいます。
よくよく考察していくと、その求めていたことを心から欲していたことなのか?と疑問になります。
それは、今までの《習慣》であったり、《周囲から期待される自分像》であったり、《過去の価値観》のまま、意識せずにただいつものルーティンをやっていると、改めて意識を今ここに軸を戻さないでいると、気がついたら前の自分の価値観、過去の想いにとらわれてしまったまま、変化することをすっかり忘れてしまっている…なんていうことありませんか?
大きな出来事がないとなかなか変化のしようがないというのも、私たちの悪しき習慣です。
しかし、日々の小さな気づきから、可愛がっている観葉植物から、飼っているワンコやニャンコたちから、家族から、友人から、両親から、パートナーから発せられる愛の波動からも、いつだってその気さえあれば自信も変化します。
それを望むか、望まないかの違いなんだと思います。
今年に入ってからのワタクシ自身で言うと、変わりたいようで変わりたくないという矛盾の中に埋もれていました。
白か黒かの人生が大半だった生き方から、この矛盾した心の状態に戸惑いながらも考えるより感じることを優先しました。
そして色々出てきたことの中で、気がついたことは自分の絶対の世界で皆それぞれ生きているということです。
同じ世界に生きているであろうあの友人でさえ、まったく違った価値観と視点と現実を体現しているという事実。
そして自己欲求の状態と実際の現実とのギャップも、友人と自分の世界観の違いくらいに違っていたりしているという事実。
これだけかけ離れているのだから、一度リセットしてみて、湧き上がってきた想いや感じることを汲み上げてみようと思ったのだ。
気がつけば、追い求めていたことがどうでもよくなってしまったのだ。
しばし、放心状態となったが、意外にも早く受け入れられた。
そして、何もしない、悲観しない、行動しない、引き籠りダラダラしてみた。
それがなかなか1日とできやしない(笑)
あくせく働くことが習慣となってしまった意識と身体を、徐々に解放するようにつとめた。
そうすることで、自分の感情を、本当の感情を掴みたかったのだ。
20代の頃の身体には戻れないけれど、太り過ぎて循環が滞ったこの身体をラクにしてあげようと思い立ち、週に2回くらい3時間温泉と塩サウナに通い、アトリエの整理整頓をコツコツと毎日少しだけ進めることにした。
一気に片付けをするのは身体と心に大きな負担となるので、地味に進めることにした。
いろんな感情が出てきて、大概は怒ってる感情なのだけど(笑)、それを確認して離す(話す)とゴミがどんどん出ていくのでスッキリと小さく解放できている。
それは今も穏やかに続いている。
大切であったはずのモノを断捨離の名のもと捨てることで、しんどい気持ちにもなったけれど、意外にも後がスッキリしてよかったのだ。
少し勇気がいるので、しばらく捨てずに別の段ボールに入れておくと、そろそろ捨てようかという気分になってきたらそのときに捨てるのだ。
できたらその時の労をねぎらってあげるといい。
こうして、夏至を迎えることができた。
感謝。
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by fairytalem
| 2016-06-21 13:29
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