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若き日の記憶の旅3~自立編~

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若き日の記憶の旅3~自立編~です。


2階のフロアーはデザイン系で独立したような組織だったのですが、グラフィックデザイナー女子の先輩はニコニコしていつもおしゃれで、関連企業の上役のお嬢様。

上司たちからも当然可愛がられていました。

しかし、上司たちはその先輩の裏の顔を知りません。

イヤミな常務は、同じ1階フロアー席のワタクシをターゲットに信じられない罵詈雑言を浴びせてきました。『君の弟さんは、あまり頭のよろしくない○○高校だったよね?』 とか、『なぜ、○○金物でバイトをしているのだね?家が大変なのかね?』 とか。

ワタクシには何も響いてこないネタで揺さぶりをかけてくる。
ジョウム…アナタの品性なしの会話は哀しいくらい頭のワルさを浮き彫りにするから、自分のためにやめた方がいい…。と思っていました。

後のこの常務のゆく末は無残なものでした。

10年後この企業は解体されグループ会社を1社にまとめ、当然役員は3/4いらなくなります。

社長からも気に入られていないことと人望もないことで、出向先は関連企業の〈飲食店〉の店長。

まだ落ちがある。

この飲食店は市内ではまぁまぁの老舗のてんぷら屋で実家ではここを常連で利用していた。

家族の週末の食事はここ。当然、ワタクシもワタクシのパートナーもイベント・デザインのこの会社で出逢って結婚したので常務をよ~く存じ上げている。

まだ新婚間もないパートナーは、父からの高圧的なお誘いをはねのける手段を知らない。

ブルーな気分になるワタクシとパートナー。
そして未婚だった弟と両親で食事。

弟には例の会話を昔、話してしまっていたことをとても後悔した。

〈あいつに散々いじめられたんだろ。やりかえしてやれよ。〉 という弟。

関わりたくないので顔をあげられない自分。

ここでは書けないようなことを弟はやってくれた…

まったく爽快な気分になれなかった、ということだけ付け加える。


話は戻って…

誰にでもそんなふうなので全員から、もれなく嫌われていました。

おしゃれな先輩も当然でしたから、陰ではゴミや虫を入れて毒物ではないギリギリのほうじ茶を入れた常務の湯飲みを差し出す役を押しつけてきました。

きっぱり断ったのでどうするか見ていると、自分で頼まれもしないのにお茶を入れて素知らぬ顔で何を出汁にしたのかわからないものを出していました。

あぁ、コワい。そして、くだらない。

人に嫌われるとはこういうことか…
本人は微塵も感じることなく、現実とはリアルに反映されるもの。
実際の問題は悪そうな常務ではなく、そうするご本人の問題。



職場では仕入れ管理の経理事務でしたので、毎月締め日は残業です。

のび太くんに似た会計士経験のある先輩に手伝ってもらい半年はなんとか乗り切りました。

そのうち先のび太くんは営業部へ移り、ひとりで締め切りを仕切らなければなりません。

親の勧め(強制)で入社したため気難しい社長なのですが、ワタクシには目をかけてくれたことがとても面倒でした。若く尖っていたこともあり、放っておいてほしいオーラ全開でしたし、何よりも社長に気に入られていない直属上司はそれをエサに誰の目からみてもわかるほどワタクシを嫌っておりました。

サイドBの先輩はそれを知って、何度もロッカーで会うとわら人形で復讐を提案してきました。

やるか!そんなこと。


仕事がもらえないので、暇で時間をどうつぶすのかが日課でした。

助け舟という、そう簡単に差し出してくれる奇特な行為なんてないことも、それまでの少ない経験で学習していましたので期待なぞしておりません。

ペーペーとは今思うと気楽なもの。

天真爛漫なワタクシは凹むことなく、デザインデスクや現場の作業場に行ったりしてそれなりにたのしく油をうっていました。達筆なKさんの筆さばきは達人技。見たこともないすばらしい看板の文字で定評だったし、イベントものを請け負う業務部門もあり、そこはおもしろいものに囲まれた現実と違った別世界でした。
いい息抜きにしかならず、いじめ甲斐のないワタクシにさぞかし地団太を踏んだことでしょう。

何をやっていたんだ?!と怒られてもへいちゃらです。

人にはこういう特技があると生きやすいもの。

何か言われるのを恐れているタイプではないので、少しでもたのしいところに身を置ければハッピーでした。

社内の人間とコミュニケーションを深め、つまらない職場にも気づけばそれなりに自分の居場所をみつけていました。


経理の仕事は、電卓を見ずに5本の指で縦計ができるようになり、汚文字と言われたペン字も営業課長から『N君(上司)の文字に似てきたね』 と褒められたのですが、上司が横で憤慨しておりました光景は忘れません(笑)
イベント事業部門からあて名書きも時々頼まれるくらいの文字も、それなりに書けるようになり、気づけば他部署から色々なことを頼まれては喜んで引き受けていました。

横目で上司は〈うちの女子を勝手に使わないでくれない?〉とスネています。

仕入れと売上で先輩女子と自分で業務を折半していましたが、バブルがはじける頃だった追い風もまだ残っていた時代で仕事量は多く、仕入れ担当の仕事は、出入り業者さんの顔と名前と請求書の書き方のくせと材料を見分けられるまで時間がかかりました。
なんでも屋の業種であったこともあり、仕入帳に記入する際の項目分けを判断するため業務部長と仲良しにならないといけません。

バイト経験すら片手もないワタクシには、コミュニケーションにとても苦手意識があり、人見知りも激しかった幼少時代をそのままひきずっていたシャイな性格。仕事になっても慣れないまま恥ずかしいという毎日で、身の置き所が落ち着きませんでした。
社内では無駄口もききません。きけません。
それゆえ、入社時はおとなしいと思われたようでした。

その頃には、ニガテな上司からの厳しい視線も緩和しかけてきたので、なんとかやっていけたのでしょう。
そんな上司も締め日は残業になってしまう自分に遅くまでつきあってくれました。

といっても、ただ席に座っているだけです。

それだけで、充分だという気持ちでした。

『もうすぐ終わりますので、どうぞお先にお帰り下さい』 …(ぜんぜん終わらない量だけど)

『えっ、そう?』 といってデートをすっぽかさないで済んだことに安堵し、いそいそと帰っていったことも、それまでの態度と明らかに違う人間に変わっていました。



いつも優しく寡黙な〈専務ちゃん〉…影では愛を込めてそう呼んでいました。

当時奥様をご病気で亡くされ、とても寂しくされていたご様子に女子全員から労りの気持ちで見られていました。専務ちゃんが〈じゃがいもの味噌汁が飲みたいな〉 とタバコに火をつけながらつぶやく姿を何度となく記憶にあります。
それくらいのことならつくってあげたいと思っていましたが、横に並ぶ常務の尋常じゃない反応を考えると出来ませんでした。
専務ちゃんにはそれから2年もたたないうちに若い奥様と再婚され、幸せそうに奥様のお写真をワタクシに見せてくれました。


ある時、専務から社長室へワタクシは呼ばれ…??

〈○○さんに僕の仕事の一部を頼むよ〉 と言われ、とても嬉しかったことがありました。

そうです…仕事ができる上司や売上担当経理の先輩女子からは、随分にらまれたこと。

今から思うと、仕事ができるかどうかということ以上に信頼できるかどうかというもっと特別なことを受け渡してくださったのです。

社員の給料明細を見ることができたのは、専務ちゃんとワタクシだけでした。

お給料日は振込でしたが、ボーナスは普段いない社長(他にいくつもの事業を兼任していた)が手渡しするという社員がゲンナリする昭和真っ青のめんどくさい儀式がありました。

その明細は専務ちゃんの手描きで、しかも査定によりボーナス率がはっきりとわかりました。
ワタクシは最高の評価を専務ちゃんからいただいていました。他のエラそうにしている社員の査定もしっかりと拝見させていただきました。
真実を見る権利を堂々と手にした瞬間は、なんとも形容しがたい〈ご褒美〉にもとれました。


入社から3年目になる頃でした。


3年後の入社日に『お話しがあります』 と、直属の上司に何度も夢にまでみた場面を迎えました。

これは辞めたいと必死になって親にお願いしても聞き入れてもらえなかった時に『3年は我慢しろ』 と極刑がおりた為、本当に我慢してしまったクソ真面目な自分はその日を指より数えて過ごしたものでした。

想像したことは実現できるのです!

ものすごーく強くその場面がスクリーンに映るくらいに想像できたことで、実現しなかったことは1度もありません。

言い換えればそれくらい切願しないと実現化しないともいいます。

空気から退職を察知した上司は、もはや自分にとって〈嫌いな〉という形容詞はなくなり、3年の月日は心の持ち方でいかようにも変わるということがわかりました。

上司は、入社してきた《新人類》を理解できず、CR-Xだからヤンキーではないか?と疑っていたそうです。

早く辞めてもらいたくてイビったことも上司の口から出たことは、懺悔までいかなくともプライドの高い当の本人はそれが精一杯の態度であったとわかります。

『私は入社した時から自分の意思でここへ来たわけではなかった上、まったく自分に向かない仕事についてしまいました。どこへ行っても社会に出たばかりなので向いていようが向いていなかろうが仕事のデキは同じようなものとわかっていました。ここで3年間お世話になると決めた今日がその3年目なんです。』

とてもびっくりした表情を浮かべた上司は『残念だね…』 と今までに聞いたことのないやさしい声で言いました。
一人前になったこと、どこへいってもはずかしくない社会人になったこと、いい子になったね…と10歳ほど年上のまだ若いその上司も、実は私に似ていて親からの差し金で自分の意思を持つことを許されなかった同じ穴のムジナであったと理解しました。


その後は、自由を謳歌し…といいたいところですが、ここからが本番です。

しかし、無駄であろうこの経理経験は後に小さな自信となり、自分の力を信頼できるきっかけとなりました。

やりたくないけど、仕事できないから我慢してOLやっていました…と端からはそう見えていたことでしょう。

しかしどうです?

得られそうもないことがたくさん起こりました。

専務ちゃんの信頼と頑なだった上司が変わり、ちょっと居心地が良くなり離れがたくなるなんてことは想像もできませんでした。

現状の未熟な自分を受け入れ、やれることを見つけて、嫌がる仕事を率先し自分の仕事としていたことで、つらいイヤなことはひとつもありません。

寧ろ、いいことしか起こりませんでした。

掃除を無心にしていると、とても気分が良くなり、穏やかな気持ちになったのです。

その場を整えることで、居心地も良くなり、心も落ち着くこと、そして神仏の入り口のお掃除を毎日することで何となく神様から見られていることを感じるようになり、自らを律するようになっていった気がします。

ろくにバイト経験もない、社会人として目も当てられなかった小娘に、この企業は随分と手をかけてくれました。マナーセミナーなど外部指導の人材育成機関へ通わせてくれましたし、一向に辞める気配もないので上司も諦めたのかいつしか仕事を教えてくれるようになり、おとなしいだけのワタクシではなくなっていきました。
最後まで、上司とはプライベートな会話はありませんでしたが、独り暮らしをするようになったワタクシをうらやましそうに見ているのは気がついていました。

周囲が変わったというより自分が変わっていったのです。

いざ!コーディネーター養成学校へ~

23の春でした。




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by fairytalem | 2013-08-31 13:30 | つぶやき | Comments(0)

若き日の記憶の旅2~自立編~

こんにちは、Fairytaleです

若き日の記憶の旅2~自立編~です。

22歳から貯蓄ゼロで家を出たため、厳しい経済状況の学生兼自立生活でした。
今から思うと微笑ましい食生活で、給料日前はキャベツだけの肉なし焼きそばがお弁当の定番。
その頃のクリスマスはハンバーグが贅沢料理として写真まで撮ってあります(笑)
カーテンもしばらくつけられず、TVなんてもっていません。当時ボーナスで購入した10万円のパナソニックの画王が来た時は、昭和か?!という喜びようでした。
生活用品はなかなか揃わず、それでもあまり不具合も感じることはありませんでした。
自由で好きなことができる喜びには代えがたいものだったことで、景色さえ一変してしまったからです。

自由であることに死ぬほど嬉しかったのです。

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自由を実感できる現代の若者であったのは、厳しい家庭だったことがそうさせたわけです。
ワタクシの育った環境は、好きにできないことだらけでした。
OLになって少ない初任給を手にした時が、最初に〈自由〉を感じました。
最初のマイカーはHONDAの黒のCR-X。自分のお給料で購入するにも関わらず、父は指定した車種を最後まで譲りませんでしたが、ワタクシだって自分で初めて購入する車くらい夢にまでみた車は無理だったけれど、CR-XはフィットしたのでHONDAのディーラーへ行き、契約をしてしまえばこっちのもの。アルミホイールを履き替えて、スポイラーなどヤンキー仕様にならないように標準装備、脚周りだけ美しくしてお気に入りの音楽を聴くためにスピーカーは当時流行りのKenwoodをリアに積み、休みの朝は手洗い洗車とワックスかけでピカピカ。この子と4年つきあいましたが幸せでした。最後の後ろ姿も光景まで憶えています。
当時はマニュアル車を乗るほうがカッコよかったし、ドライブは大好きでした。
CR-Xの返済を銀行へ毎月3年で完済。家賃と返済とガソリン代と税金を払うと手元には3万円くらいしか残りません。コーディネーターの学校へ通う資金もまだありません。
当時、結婚するまで親とは絶縁していたので、そんなこと頼める人間すら知りません。

そこであえなく、しばらくは大嫌いな上司と顔を突き合わせて、3年我慢と腹を決めました。

なにもできない小娘のくせに…といわれ、くやしいけどそう思いましたから。

その小娘のワタクシに何ができるのだろうか…
社員が来る前に掃除を毎日やろう。
具体的には、社長室と打ち合わせ室、窓周りの桟は砂のかけらもないようにしよう。
灯油を毎日大型ストーブに給油する作業は寒くて嫌な仕事だから、それも自分の仕事にしよう。
榊のお水は三脚に乗って毎日換えよう。
出入り口は午後にもう1回掃き掃除をしてきれいにしよう。

仕事らしい仕事がもらえるまで、毎朝6時半には出社して、1階のすべてのフロアーのデスクを拭き、掃除など上司が来る前に済ませておきました。

これは退社するまでの3年間毎日かかさず、後輩が出来ても変わらない習慣になっていました。

誰に言う必要は感じていませんでした。
だって、教えてもらえないのでそれ以外の仕事ができないんですもの(笑)
それくらいしかできなかったのですが、掃除をしながら色々な気づきがありました。

ここでの3年間では社会人としての自覚と、自分の立ち位置を認識し、自分は何者であるかということ、物事を教わるにはその態度と姿勢が問われるということ、社会からの評価とはどういう基準や視点であるのか、そして自分らしくブレないということの信頼性~忍耐を学びました。
ワタクシが本来、堪え性のない性格であるのに忍耐できた理由は〈目的〉があったからです。
どうしたいか、どうなりたいか…では具体的な行動をどのように起こすことで、近づくことができるのか…常に考えていました。
職場で使ってもらえるようになることを必死で考えていました。

時代背景は、バブル絶頂期からすこし経過した頃。
周囲は優雅な学生であったり、早く就職した組は海外旅行三昧。
そんな周囲とは価値観も現実の世界も違っていた自分は、定番の友人がいたし、決して孤独ではなかったけれど、自分のやりたいことを見つけたことの方がずっと気に入っていた。
仕事と勉強ばかりしていたので、お誘いもそのうち来なくなりました。
どんどん生活はタイトになっていきました。



時々お茶をいれるとおいしいと言ってくれる専務と、熱いとかぬるいとか言ってイヤミを必ず言う常務の人柄の違いの結果を考察していました。

この頃、女子社員にお茶入れをさせるのは、職場では〈よくない風潮として、各自で役職があっても掃除と自分が飲むものは女子社員に依頼してはいけない〉という通達が入社して1年くらいの時に出ました。

唯一の仕事である〈おいしいお茶入れ〉をせっかくセミナーで習ってきたのに、実践の場がなくなったわけです。来客時は、立ち居振る舞いまで自信をもって誘導し、お茶を出す作法なるものも披露する場があったのが救いでした。



お茶入れにまつわる話をひとつ思い出しました。


ちょうどその頃、幼少時父の小さな事業の会社へ機器メーカーの新人の営業マンとして毎日のように暇つぶしに来ていたTさんが、10年の時を経て県内では有数の硝子会社の副社長なり、顧客として来社されたことがありました。

一瞬見間違えたのかと思えるほどその風貌の変わりように、どきどきしました。

ワタクシがいうのもなんですが、当時でいう御曹司のチャラ男だったTさんは、立派な紳士、しかも〈偉いんだぞ~〉オーラに違和感を覚えました。

子どもだった自分も社会人となり、受付でご挨拶。

席へ誘導しお茶をいれて再度Tさんの前に出たときに勇気をもって 『ご無沙汰しております』 と小声でやっと言えました。

ところがTさんが目も合わせることなく、挨拶をきちんとしてくれません。 

まるで別人でした。

とてもひょうきんだった若者が、10年の歳月で威厳さを醸し出し、まるで〈お前とは違うから〉という空気が一瞬にして凍りつきました。

なんだかくやしいという気持ちが沸き起こりました。


それはワタクシにとって折り合いの悪い父であっても、なんとなく侮辱しているように感じたからです。


きっと当時のいい加減な営業マン時代に蓋をして、異業種へ転職し、どういう経緯であるか知る由もありませんが、きっと彼の人生を激変させるような出来事があっただろうと推測していました。

ワタクシの頭の中で色んな憶測が渦巻きながらも、何か言わなきゃと思い、打ち合わせが済んだのを見計らって、Tさんがひとりになった時にもう一度リベンジに向かいました。

『憶えていらっしゃいますか?Tさんが毎日のようにうちの会社へ遊びに来ていたころ、子どもだと思ってお風呂に入っている私をしっかりのぞきに来ましたよね?』

うっすらと小さく 『えぇ~?』 と言ったリアクション。

『あれは子どもでも忘れませんよ』 と、周囲の同僚や上司に聞こえるようにわざと大きな声で言ってやった。


それなのに、あの頃のTさんの冗談も笑いもとれなかった。


あとで彼の情報を母や担当営業マンの先輩へ聞いたのだが、結婚後息子さんが難病になり、とても苦労をされ明るかったTさんがすっかり変わってしまったこと。

のちにお子さんが亡くなってから仕事に没頭し、友人が興した事業を一緒に立ち上げここまで来たということを知った。

つきあいがあったのはTさんの新築祝いに父と小学生だった弟が行ったのが最後だったとか。

その時の写真までしっかりと残っていた。

人の生きざまは、本人の意思とは無関係に風貌やその態度ひとつをとっても出てしまう。



その後、何度か来社され打ち合わせをされていました。

2度目以降、もうワタクシの興味は失せてしまっていた。

あの明るくたのしいTさんはどこにもいない上、〈もう関わるな〉と言っているようだったから。


まだまだひよっ子1年生は続く…


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by fairytalem | 2013-08-27 10:53 | つぶやき | Comments(0)

記憶の旅

こんにちは、Fairytaleです036.gif


引き続き、若き日のワタクシの記憶の旅です034.gif

結婚後20代後半のアラサーにさしかかった頃、ワタクシの左眼は眼底出血のため視力がなくなりました。

いえ、視力はあるのですが黒目に出血してそのまま塊になって影となり、見ようとするものが見えない状態で視野だけは利きます。

当時はそんなに落ち込むヒマを作らずに、見えなくなった直後に建築業界へ飛び込みました。

もちろん、家族は反対です。

その時の心境は『なんでもやってやろう』でした。


それまで広告関係のOL~実家の家業を一瞬継ぎ?~キッチン設計の仕事をしていましたが、本気で建築士になると決めたのはこの片目が見えなくなってからのことです。

片目が見えないからできないことはないという確信をもって、結婚もしたばかりで建築の夜学へ2年間通いました。

まだまだ貧乏学生時代で、設計関係の精密道具類は本当に高額でやっとの思いで購入していましたし、なにより学費が公立なので安かったことは大変ありがたかったです。



こうした傍目からは足りない要素をもってして、初めて〈やっぱりやってみたい〉という気持ちが全面にはっきりと姿を出してきたのです。


〈なんでもやってみたい〉は、ものすごいエネルギーに転化されコーディネーター→夜学→マラソン→勉強…というスケジュール。夜9時半に帰宅しマラソンの準備をして、友人と夜明るい交差点で待ち合わせして、公園周りをかなり早く1時間近く走りそのまま別れて帰宅。そして夕食をとり、試験勉強です。とても充実したアラサー学生生活でした。ちゃんと学割もきいて映画や美術館などの鑑賞券は学生価格で入場できフル活用もしていました。

若かったので、エネルギーも内側から溢れ出るという感じでしょうか。

また新たにやれる!という喜びでいっぱいでした。


周囲の雑音はとどきません。

自分の可能性というものにかけてみたいと思えたのです。


2年間の夜学では帰宅してから寝るまでの学習が一番の成果だったようでした。

苦手意識のある教科をとにかくやりました。構造力学では後半は泣きました。

周囲の学生はほとんどが仕事を持っていながら夜学に通っていました。
鉄工所を継ぐ息子、設計事務所勤務、カーテン屋の営業、測量士、…皆、建築士資格を仕事で必要に迫られ習得する目的意識をしっかり持っていましたから、全員卒業、5人合格しました。もちろんワタクシもその5人のひとりです。

好きだった科目は、実地試験もので(笑)コンクリートを固めて強度を測る測定器が県内で最新機が導入されていたので、おもしろかったです。

測量も感覚的なことなので、得意でした。
よく組みになって測量したのは一番年長の40代のおじさんでした(今はワタクシの方が年上)。現役の測量士だったので、使うことはないだろうコツを伝授してくれたりしました。筋がいいと(笑)

製図では階段の踏み面と蹴り込み板の蹴上げのいい数値を探すのも(建築基準法では住宅では蹴上げは230以下、踏み面は150以上と定められているが実際は急過ぎ。階高が2900くらいとしても15段で登るとすると190~193。屋外の階段では180くらいがのぼりやすい)好きでした。

宮大工経験のあるの担任講師に細かいことばかり聞きに行って、マニアックな生徒というイメージを持たれていたようです。


独習からの夜学の現役教師陣(中堅建築会社経営者で建築家、ハウスメーカー1級建築士、宮大工の先生方々)から直に学べる有意義なアラサー学生兼コーディネーター時代を送りました。

この頃は人生で最も忙しく自由時間などまったくありませんでした。

月曜~土曜まで夜学、水曜休みの職場でしたので、まる1日とお休みは2年間ありませんでした。

そして、当然家事もしっかりありました。

この頃は仕事にのめり込んでいましたので、のちに生まれるムスメはとんでもない家を選んできたものだと感心します。

午前中に事務所とショールームの掃除をして、ショールームへ依頼のあった水回りの見積りとCAD図面を作成し、日報まで書き終えてしまいます。午後から建築の勉強です。

所長は仕事をきっちりやってさえいればOKという人だったので、公認でテスト勉強もはばからずやっていました。本当に午前中しか仕事をしていなかったのですが、成約率と見積件数は関東圏内で1~2番をマークしていました。

前橋でも辺鄙な立地条件の所属先でしたが、優位な青山ショールームより成績はよかったのです。


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なぜ成約率はよかったのか…

すでにお施主様は競合他社の見積書を大抵はとっているので、同じ機能にプラスして安ければ決める方、思い通りの内容にして現実的予算を少し出る程度にすれば決める方もいます。

その方の心を読むことができれば成約まである程度の確率でもっていけますが、意外と決定権はお施主様にはないことも多く、施工業者(ハウスメーカー)か建築士かあるいは資材屋だったりしますから、それを判断し営業マンと連携しないと難しいのです。

ワタクシはそういう感だけは発達していたらしく、ド田舎でも成約率が高いことで東京支店長から無理やり月1回青山まで出張コーディネーター向け講習会までやらされました。


キッチンのフルオーダーで1000万円を超える受注もあった時代です…コワいですねぇ~

当時でさえワタクシには無駄だ…と思える、オプション仕様をつけまくり、焼き付け鏡面加工(車のボディーと同じ加工ね)の扉材の無意味さには呆れるばかり。


もう時代はバブルもはじけた後でした。

そういった無駄な高級であればいいというものを求めてやってくるお客様とのお仕事には、魅力を感じることがなく、そう長く携わることはなかったのは言うまでもありません。




当時、副社長の右腕である人事部のMさんという優秀な50代の女性がよく前橋まで定期的に訪問があり、親しくさせていただいていました。

全国の採用はMさんの一任で決まるほどの権力も持っていた人で、親子ほどの年齢差がありながらも気も合い、退職後も文通をしばらく交わす間柄でした。

ご家族、ご本人も華麗なる経歴であり、温和なお人柄と頭脳明晰がかわれ昇進されたのはうかがえます。

ワタクシの採用試験の面接官でもあり、当時採用した理由を聞いたことがありました。

『あなたなら夜学を貫いて目的を果たすと思ったから、コーディネーターとしても成績も出せると判断したのよ』

『夜学に通いながら正規雇用を望むなんて無理と言われるところですが…』

『たくさんの人を見てきたからわかるのよ。目的意識が高いから一定レベル以上の成果はあげられるものよ。』 と微笑んで話してくださったことは、昨日のように思い出せます。

『あなたにはプロ意識がすでにあるわ』と念仏のように言われ続けました。

あぁ、この人の信頼は裏切れない…きっとワタクシはコントロールをすでに受けていたのかもしれませんね(笑)

今頃、Mさんはお元気でいらっしゃるのでしょうか。




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by fairytalem | 2013-08-18 18:55 | つぶやき | Comments(0)

若き日の

こんにちは、Fairytaleです001.gif


このところの前橋も猛暑が続き、熱中症の症状がなかなか完治しません。

日曜日の夕刻には、2cmサイズのヒョウがバラバラとまとめて投げ込まれたような凄まじい現象でした。車のフロントガラスにもヒョウの跡が残り、突風で落ちたアンテナで傷もでき…お隣さんは凹んでいます。

製図コースを開講して、作図や設計する力をつけることについて受講者さんたちを通して考察してきました。

その人にとって、簡単に手に入ることと、そうじゃないことがあります。

それの違い、境目は何なのか…

求めて見ているまだ手に届かないことを想像できれば、半分は手に入ったようなものです。

それを見ていないのですから、『わからない』という状態のままなだけです。

『それ』があることを知る…
『それ』を想像する…
『それ』を自分の中で輪郭あるものとして捉えることができる…

すべての技術や知識を学ぶ前にとても重要な気づきです。



自らのことを思い返してみると、いつも負荷がある状態で自ら学ぶことを選択してきたように思います。

すんなり先が見通せる道と、困難が待ち受ける道があるとしたら、間違いなく後者の道を喜んで選択してしまう自分039.gif

わくわくどきどきするドラマティックな方が断然いい!…実際はドラマチックというよりズンドコな人生でした。

その困難と思えるものが魅惑的に思える人が、より人生をたのしめると思う。
…当人より望んでいない家族は大変らしいですが…



若き日のワタクシのことを少し書きます。

結婚前までの26歳までキッチンや洗面、バスの水回り設計の仕事をしており、図面の見せ方はどんな風に描けばいいのか、自分なりにカッコイイ描き方というものを追究していました。本物の設計図を営業さんが建築事務所からコピーしてくるので、それをもって見積を積算するのですが、研究素材の図面が欲しくてほしくて(笑)

そんな中、建築士により図面の精度が違うことに気がつき、中でも一番キレイに『頭よさそうに』仕上げているイヤミな1級建築士先生から依頼された家具や洗面、キッチンなど設備図面内容がお粗末だと言われた営業が憤慨して帰社した時に、火がつきました。

それまで相性が悪いと思っていた営業のパートナーとの距離が変化した一件でもありました。

再提出日に営業さんに同行を願い出て、フルオーダーの図面はきつかった記憶はありますが、図面を渡した時に

『へぇ~おたくCAD入れてるんだ』 と言われ、心の中でガッツポーズ。

『バリバリの手描きで~す』 ニッコリ。

『えっ?!』 と前のめりになって見直した姿は今でも目に焼き付いています(笑)

営業さんから『よかったじゃん』っと、リベンジ心もバレていました。

やっと製図して設計図を作図していた頃のワタクシを営業さんの目から見て、入社から数年成長著しい若さとバカさにいつも面白がられていたようです。

入社したての頃はバカにされていた記憶もあり、後半は頼りにされるような関係性にまで変化しました。

仕事の連携のおもしろさはここで最初に学んだと思います。

半沢直樹ばりに『やられたら倍返し!』…みたいなカッコイイものではありませんが(半沢直樹がカッコイイかどうかは別として)、若き日のあのときの気分はそんな感じでした。

TBSさんから拝借…
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ラブリンが全面に出ているこの画像。くどい演技力がおもしろすぎます。さすがですラブ様。


そんなわけで設計士先生のお陰もあり、図面のクオリティーは上がったわけです。

そんなふうに、自分なりのスタンスで探り続けていました。

何が正しいか、基礎とは何だとか、外へ求めることはあまりしていなかった記憶があります。

自分を説得できるようになるか、でした。

図面の描き方も誰かから教わったことはありません。

製図用のシャーペンひとつとっても使い勝手が語れるまでたくさん作図してみないことには違いなどわからないものです。

後日、製図のシャーペンについて機会があったら語ってみたいと思います。



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by fairytalem | 2013-08-13 13:09 | つぶやき | Comments(0)

製図コース◇オリジナル作品

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昨日の赤羽製図コースでの完成作品です。

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M様の進化系コーヒーフィルタースタンド2点。
改良版と、フィルターを取りだす度にゆらゆらと揺れる揺りかごに発展させたものです。

つくるのがたのしそうだなぁと伝わってくる作品ですね070.gif

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もうひとつ、楕円ミラーをガラス細工ディスプレイとして台座をつくられたそうです。
ドロワーの生地とお揃いにして、並べて飾るのだそう。
韓国製のレースが合っていましたね。

驚きなのは軽量化されたこと。芯材にはなんと桃の保護材なんですって!

考えましたね~いや~たのしいです。


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キティーちゃん大好きの、もうひとりのM様は、すでにオーダー依頼で受けたという、お子様向けのおもちゃ箱。段ボールであり手をはさんでも危なくないもので、キルティング生地が送られていたそうで、依頼にそってつくられたそうです。
段ボールを2枚重ねにして、造りをしっかりさせたことやリボン部分の生地はキルティングのミシン糸をほどいてキルト芯を抜き、リボンのボリュームをさげてつくったそう。

相手のことを想像して、つくりながら工夫すること…
こういうひとつひとつの気づきが作品づくりに、いかに大切なのかわかりますね。

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また、余ったキルティングでソファー型のティッシュボックスまでつくられました。
ファニチャーコースで、ちょうどこのソファーのようなツーシーターをカリキュラムに組み込んでいますので、びっくり!
これは、お子様大喜びというよりプレゼントされたママが感激するでしょう。


まだ未完成の方は、仕上げてきましょう。
調整しながら制作しているT様は、2点3点と同じコスメボックスを作る予定とのことですから、必ず調整後のサイズを設計図に修正値を描き込んでおくのを忘れないように。


早いもので製図コースも来月で12回目終了で、1年経ちました。
卒業というにはまだまだです。
ご自身で継続していかれると、さらにカルトナージュの世界が広がっていくことでしょう。
何事にも、ここで終わりということはないと思います。特に表現する世界では、作っている過程で、完成後でも、時間の経過と共に同じ人間の目から見ても違うものに映るものです。
それが、進化、発展ということです。

製図コースを1年間通われた皆さま、お疲れ様でした。
ワタクシはやさしい先生ではありませんでした。
よく宿題をやってきた方、あまりやらなかった方(笑)、スローペースな方、皆さんにはもっと取り組んでもらいたかったなぁというのが正直なところです。
しかしながら、最後まで参加してそれぞれの発展が見えたことは確かです。

皆さんが講師で活動されていないにも関わらず、同じようなスタンスで取り組まれたことは、後にいい経験になったと思っていただけたら成功です。

過度に期待せず皆さんを見てきました。
いい意味で期待を裏切るような出来栄えだったり、丁寧につくる姿勢であったり、たくさん悩んでいる様子を見てきて、こちらも思うことはたくさんありました。
かんたんに手を貸してなんとなくつくることは、いけないと思っていましたので、見守るしかないのです。

当人でしかやりようのないことであるからです。

ここでは、ほんのさわりの部分しかお手伝いはできないのです。

表現の世界とはそういうところ。

製図コースは1年という枠です。
実際にはそれで完成、終了ではありません。
これを各自で継続されるかどうかは皆さん次第です。
その成果は必ず皆さんの想像以上の結果となると思いますが、なかなか自分を追いこむのは困難です。それに追い込むというより、好きで取り組むという感覚の方がいいですね。


製図コースの発展として設計デザインをメインにしたプロフェッショナルも今後新たに検討していきます。

10月から2期生がスタート予定で、2期生の終了が来年の9月をもって、プロフェッショナルを発進するか
来年の今頃はどんな展開になっているでしょうか?


そして、ワタクシの個人の作品を手掛ける時間を来年からつくりたいと願っています。
今年のスケジュールはもうどうにもなりませんので、来年の希望を先に言っていまいました(笑)
妄想では作品が10個以上出来あがっているのですけど…ねぇ。。。



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by fairytalem | 2013-08-04 12:17 | 製図 | Comments(0)

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