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カテゴリ:つぶやき( 98 )

マイケル

こんにちは、Fairytaleです^^


ゲリラ豪雨中です…

雷の地響きで古い小さなアトリエのあるビルが振動していますw

屋根にバウウンドする白いかたまりは…ヒョウ!emoticon-0104-surprised.gif

少し涼しくなったので、このあとカルトンカットをするのに絶好のタイミングになりました。


先日、マイケルの完全未発表の新曲アルバム『XSCAPE』がリリースされ即Amazonへ。
熱烈なマイケルファンではないのですが、ラジオで解禁になった日に、心へすっと馴染んだ「Love Never Felt So Good」はアナログ感を残しながら、ディスコサウンドソウルが気持ちよく軽くやさしくときめいたのだ。
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原曲はポールアンカと30年前に共作したそうで、よくぞ温めておいたなぁと思いました。

これが作曲当時だったらそう売れなかったかもしれないし、今だから感動できる仕上がりになっている。

マイケル亡きあとを引き継ぐそうそうたるアーティストたちはマイケルのボーカルを修正せずに現代風にアレンジさせたのだ。

最近はマイケルばかり聴いている。

30年前の中学生の時は、まだマイケルは黒く若々しくしなやかな身体でプロモーションビデオが流れた記憶がある。教室の後ろでマイケルの振りつけスリラーをよく踊ってふざけていたこともあった。小林克也の〈ベストヒットUSA〉はかかさず観ていたし、musiclifeも毎月おこずかいから購読していた。好きなアーティストの情報と来日コンサートを押さえるだけでも田舎の中学生には大変なことだったので、マイケルまでいきわたらなかった。

マイケルのアルバムは実は今回初めて手にしたのだ。

ジャクソン5のアルバムは持っているが、子どものマイケルの声が可哀そうで聴けなくなってしまい、以来ずっと聴いていない。

声には、その人の見えない感情や振動がエネルギーとしてのっかっているせいで、敏感な人ならわかるのだ。

なんとなくマイケルには縁遠かった。

マイケルの遺産をさびつかせたとか、肯定的じゃない評価もあるようだが、いろんな思惑があると思うが、マイケル亡き後にプロデュースしたアーティストたちに感謝したい。




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by fairytalem | 2014-05-29 16:55 | つぶやき | Comments(0)

スナック


『どこですか?スナックは…』

『あ、一階です』



時々、間違えて下のスナックのお客さんが夕方の明るい時間にアトリエに入ってきてしまう。

…まだ夕方の5時なんですけど~?


今どきのスナックって、もう古い田舎の大人の社交場。

60~70代のお客さんが主流だったが、ここ数年客層の変化がある。

ワタクシたち世代の40代…30代、いや若者?たちが利用している。

景気の影響でスナックの都内相場4000~5000円をさらに下回る2000~3000円というから驚きだ。

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下のスナックのイメージに近い感じ↑

スナックの定義とは 『軽食(スナック)を出す、アルコール(Bar)のお店』 だとか。 

下のスナックはママの手づくり料理が並ぶので、4000円でがんばっているそうだ。


夜には懐かしい70~80年代の歌謡曲のカラオケが7時を過ぎる頃から、ひっきりなしにかかっている。

1階の古い店主のママは朝掃除に来て、夕方着物を着つけてくる。

ママのプライドなんだとか。


ママの帰宅時間はいつも1時をまわった頃。

時々、ママの軽自動車のエンジン音で 『このビルはもうアナタひとりよ』 と言われている気がして寂しくなる。

『夜中、コーヒー飲みにきなさいよ』 と、お誘いされてもなんだか気が引けてしまう。

 
ワタクシは毎晩ではないけれど、ムスメが年長さんからずっとアトリエでひとり作業をしてきた。

朝陽を迎えたことも何度もあった。

肉体はあきらかに年々きつくなってきているが、精神的に弱ることはなかった。


1階のスナックへ毎晩くる常連さんもいるらしいが、うらやましいと思ったこともなく、ただ懐かしい曲をかけてくれると仕事をしながら 『おぉっ』 と反応してこっそりたのしむことはできた。


深夜0時を過ぎると、外から大きな声で 『アディオ~スっ』 と何度も陽気なご挨拶が聞こえてくる。

いい感じのゆるさだ(笑)

酔っ払いのくだらないダジャレなんかも2階まで響き渡るので、お酒の飲めない体質の自分とのギャップに吹き出すこともある。

夜中になると、どんな人間も穏やかになってくるのだ。

交感神経もそろそろ限界になってきているんだ…と感じる。


お酒の飲める人はストレスをここで解消にやってくる。

お酒の飲めない人は…?


自分のやりたいことはなんでもやってきたつもりだけれど、これでいいものなのか?と振り返る暇すら作らないできた。

反省やら間違いを見つけることなんて、大っきらいだから。

今日 『ダメでした』 と、なったとしても明日考えればいい。

だからって、先のことも何にも計画しないでただ突っ走っているのはどうかと思うが、そんな感じに近い。


ひとりでも感動してもらえる作品をつくれたら、もうそれでいい。

人に期待せず、自分に期待することにしてみる…



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by fairytalem | 2014-05-21 10:47 | つぶやき | Comments(0)

若き日の記憶の旅10~腐ったみかん編~

当時の人気漫画高橋千鶴原作『グットモーニングメグ』のかっこいい良平君がバスケ部だったということで、運動嫌いで運痴でもあったにもかかわらず、単純なノリだけで小学校から一緒だったT子と体育会系へ志願してしまった。

そういう動機はおもしろいと思っていたが、自分の愚かさを後にひどく悔いたものだ。

小学校の徒競争では5~6人で走ってゲビ2が定番だった上、体育の成績も2が定番だった。素質もなければ闘争心というものもなく、競う意味がわからなかった。やる気ゼロ、根気ゼロ、元気ゼロのワタクシにとってバスケ部の運動量の多さにはすぐに《退部》という文字が見えていた。

どれくらいバスケ部は壮絶だったかというと、男子と合同練習という形式だったので、体力的に男子並みになってくるのを顧問が期待し結果、県内で優勝圏内にいた。


少女マンガレベルのワタクシたち三羽がらすは、本気ダッシュで校外一周をタイムウォッチで先輩が計測記録しノートに刻印され、少しでもタイムが下がると過酷にもさらに数周追走させられた。

倒れる子もいた。当然すぎるであろう。命があってよかったと本気で思う。


もちろん、今では信じられないけれど水は禁止。2時間近く10周以上走らされても、一滴もダメ。最後に真っ赤になった後輩が抗議の目をむき出しにすると《そろそろ水OK》の解禁となるのだ。真夏の10週は体罰と言っていいレベルだったゆえ、心臓が飛び出しそうなくらい動悸が激しくのどを通る空気の水分すら惜しむかのうように激しい呼吸に、軽い呼吸困難にかかっていた。

ワタクシはというと、先輩の目をぬすんで友人を誘ってかくれて水分を補給していた。

《バカバカしい…》 きっと2年の先輩が3年の先輩から受けたことを繰り返して楽しんでいるだけだった。

その中でも一番酷な2年の先輩はすごくかわゆく男子から一番人気だったらしいが、性格がゆがんでいた。
よく言いがかりつけられたことは、渡り廊下ですれ違う時に先輩を無視したと覚えのないことで責められた。
気が付かなかったのだろうが、先輩たち曰く廊下に出たらいつでもどこでも先輩がいると思って注意を払うもんだ、と。

集団で移動する先輩20名以上が目の前を通過するまで全員の数だけきっちり頭を90度さげて 『こんにちわぁ~』 と大声でハッキリと《ほとんど怒鳴る感じ》挨拶するのが基本だった。


その頃、《先生方はこのおかしな行為をどう捉えていらっしゃるのか…》と思うばかりだった。



運痴のこのワタクシが、バスケ部での壮絶な走り込みの特訓を毎日毎日先輩のいじめのしごきに耐え、時には倒れ込むと罵倒され散々けなされた挙句、生きている価値までもないような言われ方をされた。

無論帰宅時の三羽がらすは先輩の悪口をどう表現するか言い合い、大笑いして暗い夜道を明るくしたものだ。

気の小さい三羽がらすにはこの時間でペイするしかなかった。

中2の秋の校内マラソン大会の中2女子の部では、マンモス校ゆえ200人程度いたであろうか…12~14位だったと記憶する。

このワタクシが…です。
その中には本職の陸上部がいます…というか、本職を抜いてました。

10位の内訳は、内輪バスケ部のレギュラーメンバーばかり。いつも三羽がらすが抜けないスタメンがズラッと並んでいました。

それくらい鍛えられていたのです。

その前日に足をくじいて腫れていたので、担任に欠場を切願したところ《うそね》と、とりついでもらえず、ムッときていたこともあり、それが原動力となって三羽がらすの中でも早かったのかもしれない。
担任は《くじいていなかったらもっと結果出せたのにね…疑って悪かった》と謝ってきた。
きっとこんな上位にくいこんだくらいマラソンは好きなのに、よほど痛かったのを無理させてしまった…と思ったようだ。

イヤイヤ違いまっせ。

マジで走るのは嫌いなのよ~んemoticon-0120-doh.gif

結果なんてどうだっていいんだもの(笑)

好きか嫌いかですべてを決めていたワタクシは、今でも正解だったと思う。

成績がいいからとか結果が出せるからという理由で選んでばかりいるといつかはつらいことになるのだから。

ものごとはすべてこの《好きか嫌いか》というシンプルなものだと、歳を重ねるごとに強く確信していく。



バスケ部はなぜすぐに辞めずに続いたのか、理由は多分ムキになっていただけだと思う。
今のワタクシなら即退部だろう。
スタメンとなれるには小学校でミニバスに所属し経験を積んでいないとなれない。ミニバスメンバー以外でもメキメキと上達していった長身の子はときどき交替で試合に出られた。
別段、試合に出たいという情熱もなくもっぱら応援しているほうが気ラクではあった。
基礎体力づくりが8割いや9割で、残りの1割それ以下の実践技術という配分の練習が日課となった三羽がらす。
スタメン以外はプレイの指導をほとんど受けたことが無いというのが実情だった。

そのことに疑問もなく、そういった小さな世界を受け入れるだけの中学1年生だった。長身のT田さんは上達しただけあって顧問Mに時々くいさがっている光景を見て《すごい意欲だな》と感心した。三羽がらすにはそういった向上心も期待もなく情けないが、ただつらい練習をこなすだけで精一杯だった。


顧問のM下先生《Mと呼び捨てしていた》は、プレイが気に入らないと折りたたみ椅子を女子の先輩に投げつけてアザができるほど過激な指導?だった。

ワタクシはMの事は大嫌いだった。

三羽がらすももれなくそうだった。

夏休みには卒業生がご指導に参加することがあり、高校生の先輩のシュートは惚れ惚れするスタイリッシュな姿だった。ひとりの時や間違って早く部活に出てしまった時にこっそりその先輩のシュートスタイルを真似して練習をしていたことがあった。決して向上心とかバスケ愛でやっていたわけではない。すると、顧問Mが入口からじっとこちらを凝視しているではないか!

途端、心の中を見られたような恥ずかしさで練習をやめた。

すると顧問Mは黙ってボールを拾いワタクシが求めるそのスタイリッシュなフォームのシュートを見せた…震えるほど悪寒が走った。日頃、三羽がらすのダメっぷりに指導らしいことなど受けたことなく無視待遇だったことや有望なメンバー以外はゴミだとばかりの扱いであったことをよく理解していたからだ。

《これが宗方コーチだったらときめくんだろうが、誰ひとり顧問Mにそうなることはおそらくない》


その後、優位になってきた試合で途中交代として初めて名前を呼ばれた。

困惑しながらも、緊張してカーッとなり視野が湾曲してゆがんでみえるほど、自分はどんなプレイをしたのか覚えていない。バスケ部であっても知らなかった3秒ルールのことや、試合ではボールを取り合う時、相手から足を踏まれたり、肘鉄をくらわせられたり、睨んでいかくすることを試合で知った。

その時の違和感は、見た目と違ってバスケって全然爽やかじゃない…
自分には合わないと思い知った。(自分が爽やかであるかは疑問ではあるが)


部長のジュンコとは、なぜか仲良くしていたこともあり部活以外にもよく話をする仲だった。

三羽がらすとはまた違った慣れ合いのない、よき友人であった。
ジュンコやミニバス経験のスタメンは小粒ぞろいで、それぞれの個性があり中でもジュンコのプレイはカッコよかった。一番シュート数の多いマユミは高慢ちきなところが皆から共感されなかったようだ。ワタクシは2年のときマユミと同じクラスになった時、ちょっとしたエピソードがあったので同情の目が手伝いそう思うこともなくなった。

マユミは小学校時代同じクラスだったSのことがかなり好きだったようだ。

筆箱のカンペンが部室に落ちていたことがあり、T子がフタを開けたとき…S❤LOVEと太っといカラーマーカーで流行りの丸字で女子らしくハートまで描いてある、禁断の特上機密情報が飛び込んできた。

日頃マユミをよく思っていなかったT子の目はランラン。
どう料理するか声を上げた。

《ダメだよ。これはここだけの話にしておこう。》と三羽がらすのふたりはT子をなだめた。

筆箱をマユミの棚へ置いて素知らぬ顔をしておいた。部室に戻ってきたマユミは置いたはずのない筆箱をすぐにみつけハッとした表情をして、きょろきょろと周囲を見渡したようだったが無反応の三羽がらすを見て筆箱を仕舞いまた出ていった。

三羽がらすは顔を見合わせて噴き出して笑ったが、マユミのことをちょっとだけかわいそうに思った。

同じクラスゆえ、Sに目線を常に合わせているマユミを見るのはつらかった。その恋はかなうことはないとよく知っていたからだ。Sは隣のクラスの美人のE子からも熱烈に求愛されているモテ男子だったが、小学校から一緒だったワタクシには共感を感じられず他人事だった。E子からラブレターとプレゼントをSに渡して欲しいと急に頼まれたことがあり、とても困ったことがあった。もちろん自信のあるE子は堂々としていたので何度もトライしてもSは受け取らなかったため最後の手段として託されてしまった。

一部始終こちらを観察していたマユミの視線も痛かった。

何度目であったであろう、Sが 《おい、お前友達だろう。これ返してくれ。》 とぶっきらぼうに誰もいない教室のロッカーでタイミングを見計らってなにやら開封した形跡がない大きな袋をつき出してきた。

E子に渡す時、ワタクシが申し訳ない気分になりその大きな袋をSの替わりに返した。
《ふん…》と意外にあっけなくE子は失恋をすぐに受け入れた。
諦めてくれて安堵したのを覚えている。

成人して最初のOLの時、Sが飛び込みで最新パソコン導入を勧める中堅企業の新人営業マンで受付に入ってきた。
びっくりしたのはSが身長もぐんと伸びて、スラッとしたスタイルにスーツでカッコよくきめていたことだった。
マユミもE子もあの時にこうなることがわかっていたのか…
しかし硬派だったSと少しだけ会話したのが 『今度飲みに行こうぜ』…ありふれたチャラいハタチになっていたことが残念でならなかった。
余談だが、Sの妹はけっこうな美人で有名だった。
実の3つ下の弟の事が好きだという《電話》の受話器をひろったことがあった。
《随分と奇特な子だ》と姉は思った。


中1の春、成績が急に上がった理由が《いじめにあった》ことと《頭のいい男子たちと席が隣になった》ことが要因だった。

Fちゃんの1つ上のお姉さん曰く当時の新入学生はまだ小学生っぽくきゃぴきゃぴしていた中、ワタクシは大人の目をして落ち着いていたそうだ。勉強が面白くなった頃で、英語をもっと知りたい発音を正確にとらえたいという洋楽好きが高じて、歌詞をノートに毎日書いて自分なりに訳し、歌詞イメージのイラストも描いて1冊にまとめていた。詩を書いたりすることもあったのだが、皆には意味不明な文章で読まれても意味がわからないだろうと気にもとめなかった。あるとき仲良くしてくるRさんが一緒のトイレに誘ってきたがそういうのは面倒だったので《自分のタイミングでいくからどうぞ》と言ったことがきっかけで《生意気》となったようだった。

それからないことをクラスに吹きこみ、またそれを鵜呑みにしたクラスメイトたちを相手に散々な思いをした。

これは2学期まで続いたのだから、この時間はひとりの時間は勉強をして過ごすことにした。
色々と邪魔もされたし、ひどい言われ方もしたが、果たしてそれが真実かどうかなんてクラスではどうでもよいことだった。それが自分に向けられていなければいいのだから。

お陰様で成績不遇な小学校時代とは歴然と違いが出た。勉強をするとちゃんとそのまま《正当》に成績として残ることが心から嬉しいと思った。担任のケメコは先入観もなく公平に見たままを捉えられる、ちゃんとした大人の教師だった。クラスでの空気はわかっていたので原因が誰であるか聞いてきたこともあったが、その必要性はないとあえて断った。そういう会話ができるワタクシを《間違いのない生徒》として扱ってくれた。
当時、1日をどう過ごしたか質問や相談なども記入できた時間割表日記を毎日ケメコに提出する習慣があった。
原因のRさんを大人のケメコが突きとめるのは観察していれば容易なことであったでろう。Rさんはケメコから呼び出しされて強く注意を受けたらしかった。

そのはらいせとして、ワタクシの時間割日記帳で《チクったはずの相談欄》を確認したかったようで、ワタクシの机の中を隙を見てはあさっていた。そんなくだらないことを書く気になるわけがない。申し訳ないがイヤイヤ提出しているRさんとは違って、きれいに記入して色分けまでし、時にはイラストまで描いてある特別な日記仕様だった。

結果的にRさんには見られたのだが、《チクった形跡》など見つかることもなく、プライベートな過ごし方があまりにも違い過ぎることに驚いたであろう。

部活でのしごきに耐えて帰宅し、好きなアーティストの洋楽を聴き、辞書で調べながら訳し、イラスト画や詩をを描いたり、マイコーチで予習を夜中まで勉強をしていた。

休み時間は話をする人もいなかったので《無害な男子だけしか話ができなかった》ひたすら勉強するしかなかった。

学年イチ、県内1位の神童と言われた男子と幼稚園からピアノ教室で一緒だったくされ縁のイシダが隣の席になった時は、いじめから解放された。

イシダは小学校時代も黒ぶち眼鏡で体格もよく、その風貌から真逆な繊細なピアノを弾き、コンクールで成績を残したヤツで、勉強もよくできた。いい例は、わからない難解な数学の問題を二人に聞くと返ってくる回答の違いがそのままの人格を表していた。神童は考え方を筋道たててわかるように説明してくれるので、共感を抱きやすい。
イシダは、答えを教えてくれるだけ。

クラス単位のいじめが軟化したきっかけは二人のおかげだと思う。

イシダの成績も一度だけ神童を抜いて1位になったことがあった。

ヤツには目的があった。

当時最新のPCは100万円ほどしたとイシダは言っていたが、それが欲しいがためにその時だけ勉強したというんだから親はたまったもんじゃない。

勉強ができるだけじゃなく、おバカ全開のイシダと過ごす夏休みはエキセントリックだった。

PCをいじくっている様もこちらは訳がわからないが、おもしろそうな代物だったし、休憩で下のリビングにあるグランドピアノにはウットリする腕前だった。

『もっと、弾いてよ』 と言ってもきいてくれやしない。

思春期の男子の心理や身体の機能の話しなど何でも教えてくれた。

恥ずかし気もなく、幼馴染という長い付き合いで気楽な関係は心の負担もなく居心地がよかった。

おそらくクラスでのこともわかっていたから、お勉強のデキル2人に挟まれ大人な会話がつくるその場のオーラも変わっていったであろう。
一度だけイシダが《気にするな》と言ったことがあった。

そうだなと思い、相手にすることはなかった。

神童の隣の席のサチミは神童のやり方をいたく尊敬していた。
イシダの適当さを批判していたが、中坊男子に期待するほうがおかしい。
イシダのわかりにくいやさしさを知っていたから、サチミとは違った見解だった。

神童は東大法学部へ、イシダは地元の自由な高専へ進路を決めた。イシダはエレベーターの会社へ入社したというところまでの情報で途絶えている。神童の卒業後は中央省庁だと人伝えで知った程度だ。

個人的にはイシダの方が頭は切れると思っている。

何が二人の違いがあるのかは、当時からよく理解できた。

日本には神童のような人が省庁にたくさんいるのだろう。中1で『人生の基盤をつくるために勉強をする』と言っていただけはある。

イシダの父親は陶芸作家でアトリエに籠って制作していた血筋がきっと今頃、遅咲きしているのだろうと想像する。




ある日の部活の練習の時、三羽がらすのT子から飴をもらった。何も考えず口へほうりこんだ。
T子は、部長のジュンコにも渡した。

しばらくすると顧問Mが怒鳴りながら《飴を口に入れている奴は出ていけ》と体育館へ入ってきた。

黙って、素直に出ていく三羽がらす…振り返るとジュンコは横を向いてその場に残っていた。

それ以来ワタクシたちの友情にヒビが入り、元のように話さなくなった。

職員室に別々に呼び出しされ、飴の一件に対して《土下座して謝ったら復帰させてやらんでもない》と言われ迷いなく『謝るくらいなら喜んで退部します』 と言って帰ろうと背を向けた。

《ちょっと待て》と、ごちゃごちゃ何かを言ってきたようだったが何を言われたかは覚えていないが、部長はおとがめなしで三羽がらすには 《お前らは腐ったみかんだ》 と言い放った。

『腐ったみかんでも、どう思われてもいいですが、平等と公平については納得いきませんのでご指導も結構です』と今度は後ろから何を言われても振り返らなかった。

T子ももちろん謝る気なんて毛頭ないので、そのまま退部となった。

中3の春だった。

T子は部長を散々悪く言っていたけれど、ワタクシはどうしてもそこまで言うことができなかった。あの時のジュンコに《あなたたちとは違うわ》という明らかな態度に、皆と違う部分で繋がっていたと思い込んでいた愚かな自分を憐れんだ。

意に反して意外と長かったバスケ部に幕を下ろした。

卒業アルバムのバスケ部は1年時に20人近く入部していたハズが7名だったか…そのうちのひとりYは部活に参加せず、籍だけおいて内申書に記載が残ることを意図して卒業アルバム撮影だけちゃっかりと最後までいたかのように、輝かしい笑顔で今も写っている。

そのとき悟ったのは、要領のいいやつは人生をどうやり過ごすか知ってるんだ。
…そんな生き方は自分にはできないけれど。

そのYとはワタクシの結婚した26才頃くらいまでの大転機までつきあいが続いた。
進路別に商業高校へ行ったT子とは疎遠になり、女子高へ行ったFちゃんとは疎遠になりつつも時々連絡を取って関係は継続。普通高校へ行ったワタクシとYは別の近隣高校であったが、後にも先にも中学での取っ組み合いのケンカをした唯一の女子という記憶を乗り越えて?深いつきあいとなっていった。

あのときのことを1度だけ真意を聞いておきたかったので、ジュンコのいるクラスへ会いにいったことがあった。
ジュンコの茶色い瞳は、もう友人じゃないという目をしていた。

部長である地位を選んだことを当然であると思ったし、責める気にもなれなかった。
三羽がらすとは違うんだというエリートスタメンであるプライドは《あやまち》からジュンコを支えていた。何も伝えずにその場を去った。
言葉を重ねても何も出てこない気がしたからだ。

そのとき友人であったと思い込んでいた、あったはずの1本の糸がすでに無くなっていたことを確認した。

顧問Mは部長に《友達は選べ》と言われたらしい。


~腐ったみかんは、自分が腐っているとは露ほども知らないものだ~



T子もワタクシもバカかもしれないが、能天気でへんなところで頑張ったりして要領の悪い自分たちを結構気に入っていた。

大人になって時々落ち込むことがあるけれど、T子やFちゃんと過ごした下校のひとときや、イシダや神童との難解な会話は今でもふっと元気をくれる。



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by fairytalem | 2014-05-06 17:04 | つぶやき | Comments(0)

若き日の記憶の旅9~夜をぶっとばせ編~

『夜をぶっとばせBLOW THE NIGHT!』という母校出身の不良少女の本人主役映画が昔地元では話題だった当時、中学生だったワタクシたち後輩の間ではよろしくない過去の歴史として語り継がれた。
群馬の中学校に通う不良少女が主役は、女優ではなく映画出演迄現役の不良やって見るからにホンモノのワルを醸し出したドキュメンタリータッチな作風。他の出演者も中学生役や暴走族役等はホンモノとしか思えない雰囲気。教師役他大人の演者は中高生から今の若者も知っている何人もの役者が演じている。
なぎら健壱や高田純次が真面目にワルに注意する教師役で出演している。


公開された当時中3だったので、今はそんなにひどくないのに…と温度差に少し違和感があったものの、それっぽい1年上の先輩集団から想像できた。

ワタクシの中学校はそれ以前の代では、荒れていたことでも有名だった。

K中学に入学することに当時小学生のワタクシは、危険な大人の世界に放り込まれるような心境だった。


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便所下駄はK中学では《イキがる不良上級生たちのアイテム》 として恐れられていた。

…っていうか、不衛生じゃないのか?と、つっ込みをいれたくなる。

不良上級生たちは細い黒いグラサンをゆるくかけ《よく見えないだろうに》がに股に歩き、ボンタンと言われるズボン《後にドカンと言われ不良制服にも進化形ができる》をはいて、先生に抗議をするであろう時に集団で鉄の棒《どこから拾ってくるのか》を肩にかけ、足元には便所下駄。

このスタイルに集団で裏庭を行脚したことを1度だけ見たことがある。

中1の女子は無関係なので無害であることは、よくわかっていたので冷静に観察した。

マジマジとイキがっている不良たちのアホ面を見た。

その後噂で聞いたのは、気に入らない教師の新車の座席にケチャップを大量にかけた…という、お子ちゃまレベルの襲撃に友だちとふいたものだった。



何故かよく上級生から《目つきが悪い》と言いがかりをつけられ、お呼び出しを受けた。

行かないとひどい目に合うらしい(笑)

そんなの無視して部活キャンセルで帰宅しようと思っていると、お呼び出し係りの知らない先輩がお迎えに来てしまった。

K中学校の女子の総番長〈いやいや時代ですな~実在しています〉の実の妹と2年の時同じクラスになったのだ。総番長=周辺地域一体の4~5校を制覇している番長。
トシエは見た目もモロにズル長スカートにストレートの茶髪、上履きのかかとを踏みつぶし、指定Yシャツでないものでボタンをはずし襟を開襟にして着ていた。1年時は姉番長の影響でいきなりそんなスタイルだったせいで小学校から上がってきた同級生は一斉に引いたそうだ。無論、友達は誰もいなかったので学校へほとんど行かなかったそうだ。

トシエがクラスで浮いていたのが、去年までの自分と重なった。

周囲からは 《こわいからよしなさいよ》 と言われたが、近寄っていった。

勉強はダメダメだったけど、笑うととてもかわいいところを発見した。

ワタクシの行くところどこでもついてくる、小さなワンコみたいな子だった。

心根の優しい子だと周囲に伝え、やがてクラスでも馴染んでいった。

トシエが幸せそうに笑っていると自分もうれしかった。


そのお迎えに来た知らないこわい顔をした先輩に連れていかれるところで…な、な、なんと!

トシエの姉、女総番長が腕を組んで立っているではありませんか。

あまり学校へ来たことがなく、まじかに見たのは初めてだったこともあり、とうとう自分は幻想を見てしまったのだと一瞬思った。

《ちょっと、待て。前ら、この子を誰だかわかってんのか?》 ひぇ~こわ~いっ

《えっ??…頼まれただけで私たち知らないです 》 ビビってるぞ~

《この子に手を出すんじゃねぇと、オレが言ってたと言っとけ。誰の差し金だ?》

《Yさんです》

《は?誰だそれ?たいしたヤツじゃねーな》

逃げ出していった。


《あ、ありがとうございます》 ワタクシはあわてて頭を下げた。

《トシエが世話んなってんだってな。ありがとな。》

《これからも、トシエをよろしくな》

《はい》

シンプルでカッコイイと思った。

わざわざ、こんな小さなトラブルに番長自らお出ましとなって、有難いやら申し訳ないやら、コワいやら(笑)

トシエの姉が立ち去った後、コワい思いをした後のヘナヘナ感でしばらく動けなかった。

トシエが機転をきかせて、姉のクラスまで頼みに行ったそうだ。

《間に合ってよかった。あいつらただじゃおかねぇ。》 と、すごんだ顔はおっかない。

そこは血筋の番長妹。

《また、何かあったら言って》 そういう義理人情厚いのが昔のヤンキーだった気がする。

トシエとは中3でクラス別れして疎遠となったが、新しいクラスでも仲良くしている姿を渡り廊下で見かけ、もう大丈夫だと思った。

黒幕は、どうやらバスケ部の2年のキツネ目の見るからにこわいY先輩だった。

総番がわざわざ出る幕ではないレベルの〈へなちょこ先輩〉だったわけだ。

本当に何のからみのない先輩からお呼び出しって??一体なんだったのか、今でも不思議な出来事だった。
 

こういった類いの因縁つけられる出来事はここでは書けないが、両手で足りない。

のちにその話は校内でも有名になり、やがてそっち系からお誘いがきてしまった。

『すみません、部活やってるんで毎日7時終わりなんです』 と申し訳なさそうにお断り申し上げた。

《総番のマブダチで2年だけど次期の話しも出てるらしいよ》

《え~っ、なんで噂ってそうなるの?》

一応、断っておきますけれど、ワタクシ規定の制服か体操着で学校生活を過ごした真面目少女でしたから。

ねぇ、Fちゃん?



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by fairytalem | 2014-04-24 14:58 | つぶやき | Comments(0)

変化を受け入れる


こんにちは、Fairytaleです^^


春が近づいてきていますね。


この2カ月間は激動の意識の中、周囲の風景も同時に変化し、痛みと新しいことがはじまる気配の入り混じった混沌とした日々でした。


やっと出口らしきものが見えてきた…

そんな感じです。

多くの方がそう感じたのではないでしょうか。



年末からずっとお皿やお茶碗、コップ…と慣れ親しんだ陶器を割りまくり(笑)

『はっぴ~、らっき~』 と、その直後いそいで言います^^

この子たちは物質界での反射のようなもの。

本来はワタクシたちが怪我をしたりトラブルが起こったりして、〈おしらせ〉がくるのですが、この子たちが代わりになって浄化してくれているようです。

だいぶ年季の入ったお茶碗は、落としたわけでもないのにひびがじわじわと入り、触ったら割れた感じ。

割れるとびっくりするのが多いのですが、ワタクシの感じ方が変わったのでしょうか、ありがたいという感情が込み上げてくるのがわかります。



体調が悪くなってから、6時に起床してパパとワタクシのお弁当と朝食をつくります。麦味噌のお味噌汁とベーコンエッグには醤油派!(ワタクシはソースで育った)の我が家の実権はワタクシが握っているように見えますが、ちょっとした家族共通のお皿につけるものには向こうの主張になります。年に数回ひとりの食事の時は、『あ、そうだソースにしよう♪』 と思い出すとうれしくなります(笑)
食べきる量を無駄なくつくり、捨てることのないようにできるだけ意識しています。洗い物とゴミ出しを済ませてから事務所へムスメと車で向かいます。7時前後でないとラッシュに巻き込まれプラス10分遅れるため6時55分くらいがベスト。

事務所につくと、アトリエと事務所のゴミ出しと簡易掃除。いちばん汚いとこがムスメの使っているテーブルスペース部分と学習机周り。片付けを教えてこなかったためか、教えても聞いていない子なのでキレイの概念がゆがんでいるとしか思えない状態が多い。

7時35分になるとムスメは登校班へいちばん乗りで出ていきます。アトリエ窓から見下ろすと、必ず振り返って手を振ってくれたのは何年生までだったのでしょうか…

8時くらいまでメールチェックと返信と発注書・納品領収書をプリントしながら、コーヒーを濃くおとしてカップへ1/3注ぎ、熱湯で薄めミルクを入れるのが定番。

お香も時々、空気の入れ替えができないこの季節では必須。

白檀の香りの中、コーヒーの香りと入り混じる時はいちばん人生の時間でゆったりした至福のとき。
そのまま軽くほんとうに軽い瞑想に入り、メッセージやイメージが入りやすい状態になるまで1分でしょうか。
大事な仕事の時、難易度の高い作業の時はお祈りを少しだけしてから、はじめます。

お酒もタバコもダメな体質で、カフェインも少しで充分満足できるのは若い頃から変わりません。

コーヒーも一生飲まなくても多分大丈夫。それをたのしむだけ、雰囲気や香りをただたのしむためなので、1日1杯で充分。
甘いお菓子やケーキも一生食べなくても多分大丈夫。←信じられな~いと言われそうですね(笑)

食べたいと思う時はすごく疲れている時で、食べてもそんなにおいしく感じるわけではないんですね。よ~く身体に意識を向けると、〈そんな気がしている〉 だけなんです。

特別にコレが食べたいという欲求がものすごく減ってきましたね。
でも…太っているのはなぜ?…と横からつっこまれそう。

9時から10時くらいにブログ記事を書く時間が多く、UPしてからその日のカルトンカットの下準備を午前中にします。カットは午後の3時くらいまで、他の作業と交互に手を休ませるため効率悪くても、カットは2時間で休憩します。

愛用の抗炎症剤ロキソニンちゃんを腕にぬりぬりしておかないと翌日やっぱり腕が腫れます。痛みが上がってきているので、しじゅう肩イヤ…ごじゅう肩にこのまま突入する気配がします。


カットをしないなか日は、試作品づくりです。つくる時間は下準備が9割、実際の作成は1割といっていいほど下準備の時間はものすごく手間をかけています。

ラフデザイン→構造設計→サイズ出し→積算→調整→トレース用下絵→トレース→試作→型紙調整→再試作→レシピ作成という流れでも試作は再試作がほとんど今はやらないため、益々時間をかけていません。

こんなことをやっていると、夕方4時すぎになるとムスメが階段を大きな音をたてて上がってきます。1時間くらい仕事になりません。夕刻18時くらいまでカットをしている中、ムスメのピアノの練習音と重なります。宿題、目のトレーニング、ドリルを済ませると18時を過ぎます。


お弁当箱、洗濯物を回収した袋を持って、生協へムスメと帰宅しながら寄り、すぐにお風呂に入ってもらい、19時半頃夕食~片付け20時半~

夜の9時には就寝してもらい、お風呂を済ませてそこからPC作業です。

だいたいレシピのベースや原稿書きです。

0時をまわると、目がしょぼしょぼしてきて 〈もう疲れたよ~〉 と身体から言われるまでがんばります。

ここでTVなんかつけてはいけませんemoticon-0120-doh.gif

作業の邪魔だし、つけていても雑音にしかなりません。

もう何年もTVが面白くないですから、本気で見ることがありません。

情報は一部のブロガーさんや一部のラジオ、書籍、一部の知人のみ。

それでやれてます。

正しい情報はないに等しいので、真実はこうだな…と有る程度わかってしまうと、身に危険でない限りはどうでもいいことです。

ここ数年の激しい忙しさは自らそうしているためで、少しずつシフトしていこうと思っています。

すでに、変化があるのに抵抗している時期はもうとっくに過ぎました。

皆さんも、新しいことを始めたり、新しい仕事を見つけたり、今の状況の中で古くなったこと循環しなくなったことから離れて、動き出してみませんか?







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by fairytalem | 2014-03-28 09:50 | つぶやき | Comments(0)

アラフィフのあがき

こんばんは、Fairytaleです^^

この時期は何かと忙しく、確定申告や年度末、来期のスケジュール、新講座の作品のレシピとキット準備、毎月の単発の準備とキットショップの整備と受注をこなしながら、4月を無事に迎えたいと切に願います。


そんな中、我が家に義理の母が引っ越してきます!

母の部屋を確保するため、ワタクシの勉強部屋をあけなくてはならず…

あ、ウチは嫁姑の関係を超えて親子になってしまっているので、これからの家事が半分以上期待できる母には、ありがたいことなのですw

誰ってワタクシが一番うれしいらしいですねemoticon-0111-blush.gif

母が来たら、一緒にご飯食べて、片付けして、カルトナージュのアイデアを聞いてもらって、一緒に試作してもらって…そういう妄想だけですでに幸せです。
でも母はどう思っているのかわかりません。
うるさい嫁の話を聞いてやって、ご飯もつくってやって、掃除洗濯までやらされて…と思っていたら、母は幸せじゃないですよね。
母にはたのしい生活を共にしたいと思っているのですが、母がどう受け取るのかはわかりません。
ですが、母にはラクさせてあげられないかもしれませんが、一緒に笑って生活する自信はあります。
母には変な苦労はさせたくないと強く思っています。
幼いころから母が苦労をたくさんしてきたことを聞いてきたので、ワタクシができることは苦労をさせないことだと思っています。
完全にムスメの心境なのです。
世の中の大半がそうじゃないというのですから、ワタクシは人より幸せだといつも感謝しています。



まだ生地やカルトンなどの材料や雑貨、壁面には数百冊の本がびっしり入っている書棚をこれから某有名ショップで10円で引き取って頂くことにして、タイトルを見ないように箱につめなくてはなりません。

2度読みする本の確率は1%もないのではないでしょうか。

なのに、売ることも捨てることもできず増え続ける本。

読みにくい本は途中のままになっていたり、まったく読んだ形跡もないものも。


断捨離…しています。


捨てるのは気持ちいい部分と惜しむ部分のせめぎ合いだったのですが、もうこれだけあると時間の無駄でもあるし、捨て出すと慣れてくるのが人間でして、これもやってみると案外大丈夫らしいですemoticon-0125-mmm.gif

パパにDVDも100本近く売ってきてもらい、10円がほとんどで、良くて100円でした(笑)

すごいのはアンパンマンですね。

1000円でお引き取りいただきましたから。

10円と1000円の落差は、需要の違いということですね。

物の価値はいかに人から必要とされるかにかかっているんだな、とこんなところにもワタクシたちの世界が展開されています。



カルトナージュは必要とされているのだろうか…?!

最近、やたらその問いかけにぶつかります。

いろんな人に好かれて、いいな、たのしいなと思ってもらえるカルトナージュづくりができているのだろうか?

ちょっと考えてしまいます。


昨日、お隣さんに比較的やさしめにイラレをレクチャーしてもらいながら、1作品の型紙と裏打ちプリントをつくりました。

1時間かからずにまぁ、なんとかできました。

これを自力でやるのはしばらく難儀ではあります。

でも、できないことはないのだ…と言い聞かせ、さらに自分のワールドを展開していけるきっかけになるかもしれません。

できないかもしれません。

自力ですべてやってみること…

すべてを限られた時間でこなすのです。

お隣さんの力を借りずにどこまで表現していけるのか…

今はまだなんとも言えませんが、効率を上げる更なる努力は必須です。

がんばれ、アタシ。






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by fairytalem | 2014-03-01 17:36 | つぶやき | Comments(0)

感動に勝るものは何もない


こんばんは、Fairytaleです^^


ソチオリンピックで睡眠不足のままお仕事に向かい、帰宅しまた睡眠不足…

といった状況ではないでしょうか?

昨日はさすがに仕事をしながらフィギュア…という体力も尽き、12時前に就寝、6時間の睡眠を確保しましたのでエネルギーチャージまでいきませんが、だいぶ回復してきました。


真央ちゃんのフリーでの渾身の演技は、あのショートがあったからこそのフリーでの収穫だったのではないでしょうか。

メダルより真央ちゃんの笑顔や涙が感動を生みましたね。

競争社会の縮図を垣間見ました。

ワタクシたちは人と違うことを前提に、自分らしさを失わずいられることがいちばんです。

順位なんて本当はどうでもよいことで、得点の基準だって色んな一部の都合で変えられてしまうことで順位がかんたんに変わってしまいます。

こんなにも感動を与えてくれた演技ができる真央ちゃんでいいではないですか。

皇帝プルシェンコもトリプルアクセルに果敢に挑んだ真央ちゃんを賞賛していましたし、銀盤の妖精でしたっけ?違っていたらすみません、感動を与えた演技を誇りに思うとコメントしていましたね。

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…画像は拝借~

感動に勝るものはない!


なのに古いふるい政治家のおじさんは、結果やそれにもたらせる利益追求思考の塊のような、残念な発言でした。

この古い思考では、これからの未来は切り開いている力は一滴もありませんよ。

沙羅ちゃんも真央ちゃんも大きな期待という目に見えないエネルギーの渦に巻き込まれてしまったのは、仕方のないことです。それだけ、感受性が強くだからこそここまでの成果も出せてきたわけでもあります。


まったく、おじさんアナタがトリプルアクセル飛んでみ~っ

世界で飛べるのは真央ちゃんだけなんですけど?




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by fairytalem | 2014-02-21 18:59 | つぶやき | Comments(2)

ドキュメンツストレージ☆レッスン完成画像

こんにちは、Fairytaleです^^

今日は《雪》の気配を感じながら、まだかまだかと曇り空を見上げています…
あともう少しで降りだしてきそう。。。

アトリエは20畳以上の広さがあるので、ストーブでは空気が暖まるまで時間がかかり、お昼になっても寒いので事務所へストーブを移動させ、エアコンと併用でなんとなく暖かくなってきました。

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先週末の【ドキュメンツストレージ】単発レッスンの作品完成画像が携帯から送られてきました。

スワンちゃんエンボスに、ピンクをベースに、淡い黄緑のペイズリーの内側生地とお花柄メイン生地で、
とってもらぶりーな仕上がりになっていました。
カルトナージュ教室を主催されているN様は、人生でも、カルトナージュでも先輩です。
ワタクシのようなものでも学びがあると謙虚に仰ってくださり、頭が下がります。
やはり仕立てもきれいですし、細部は何も言う必要もない腕をお持ちですから、こちらが教わっているような錯覚をおこします。

落ち着いて作り込める力は経験と目的意識によるものと思います。
これから講師を目標にされる方や製図コースでの生徒さんには、とてもいいお手本になる先生です。

前橋での体験レッスンでは、ご近所の田舎マダム(これまた手強い!)相手に、毎月1回のレッスンで中級レベル作品に取り組んでいたため、レッスンの進捗具合のずんどこさ加減や、1カ月経つと忘れてしまうやり方をまた教えるという…ここは養老施設ではないか?という、決して大げさではない、何重苦にもなるレッスンをやっていたことが随分と昔のことのように目を細めてしまします。
このレベルの違いには大笑いしてしまいますが、今となってはそれもなかなか面白い経験です。
やる気のない初心者の初老マダム(群馬のという形容詞がつくと頑固さや融通のきかないというニュアンスもプラスされる)から、レッスンを円滑にするためのアイデアがたくさん得られたという意味において、ワタクシはやはりラッキーであったと思います。
やる気のない初心者さんってところが、ポイントです(笑)
いかに興味を持ってもらえるか、魅力を感じてもらえるか、誰も同じ精度になるような工夫はできないか…
具体的なモデルとなって円滑にレッスンらしくなるように工夫を凝らしたレッスンでした。
1つ言えることは…この斬新なレッスンでは上達しない…のです(*_*)
ワタクシのスキルだけは確実に上がっていくというのは言うまでもありません。

あのときのワタクシの肩にポンっと手をおいて『おつかれさま~』 って言ってあげたいですね。

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クリスマスカードの宛名書きをして、雪だるまのイラストの50円シールを貼って、ポストに投函。
3年目のキットショップも、常時オープンが来年2月を目安に実現できそうです。

キット屋さんは気に入っていて好きな仕事です。
カルトンカットは皆さん苦手、ということをやってみるところも自分らしい。
今回のオープンから強力助っ人となる、スタッフKさん。カルトンが到着しすでに山のカルトン♪
ここからのウェーブカットはワタクシの作業です。

この光景はいいもんです。
こんなにある山は必ずなくなっていく…と思うと、じ~んとありがた~い気持ちになります。

ハンドメイドのカルトンカットのつくり心地の良さというものをお伝えする、と決めた日から、
最近になって手切りのカットがいかにいいものであるか、手にとって組み上げてつくられる人から
『きもちい~い』 と言っていただけること。
フィット感やピタッと感が機械裁断のエネルギーにはない、人から人へ伝わるエネルギーだから
それに共鳴しているんだと思います。

月日が変わっても、その原点は変わらないのだなぁと、気付かされます。


さて、下準備はできました。

明日から本格的にカット作業に入ります。

…手と腕が持ちますように。



急激な寒さやってきますね。

皆さん、体調管理に気をつけてくださいemoticon-0124-worried.gif




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by fairytalem | 2013-12-18 15:46 | つぶやき | Comments(0)

若き日の記憶の旅8~家業を継ぐ編~

こんにちは、Fairytaleですemoticon-0108-speechless.gif


大手を振って広告イベント会社のOLを辞めて、しばらくは2LDKのアパートでのんびりとドラクエでもやって過ごそうか…などと考えていましたが、次の職場は建築関係のコーディネーターか設計の仕事に就くという目的があったので、遊んでいられるほど余裕もありません。

実家の父とはあれから2年以上絶縁状態…

よくよく考えてみると仕事を辞めてよかったと思っていたのは束の間。

少ないお給料から家賃と車のローン、ガソリン代、まったく貯蓄すらありません。

食べることはギリギリ節約料理で乗り切ってきましたが、これから学費がのしかかってきます。

すぐに現実の世界へ引き戻されました…

〈やばい、働かないと食べていけない!〉emoticon-0106-crying.gif


焦った自分のとった行動とは…?

父へ仕事をさせてくれと電話してしまったのだ!

選りによってそっち?!

仕事を辞めてしまった高揚感で、あの時の自分はどうかしてしまったとしかいいようがない。

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父はそれなりに娘が家業を手伝うことに喜んでいた様子で、役所でも取引先でも連れて行かれ、娘を紹介しまわった。
水道工事業の世界はまったくど素人の上、現場での土掘りの作業で女性を見ることはそうない。
ワタクシも力仕事は向かないし、できたらやりたくない仕事だと思っている。
女性社長のある会社では、「土工」「土木工事」を女性社長自らスコップで掘るという噂を聞いたことがあるが…ワタクシには、無理を感じてしまう。
それは完全なる男性社会の縮図をその現場で展開されている様を見る度に、ワタクシたち女性の隙間すら存在すら不要といった力仕事は、危険であるためピラミッドのように指示する者から作業を分担する者が大声をかけ、実施する作業工程はもう見る事すら許されないような気持ちにさせるのだ。
これは大人になってもここの会社の一員になっても、疎外感を強く感じた。


男性社会の業界でのワタクシの奮闘は、ときにはおろかな行為にしか見えないのだろうが、曲がったことが嫌いな性質ゆえ、どこでも勃発しては父に抗議をしていた。

それは市役所でも水道局でも、警察でも…
あ、間違っても警察では道路を掘削するため、道路使用許可申請という書類を提出するので、お世話になったなんてことはありませんよ。emoticon-0114-dull.gif

現場は当然エリア外だったので、それ以外は全部やることになった。

軽トラに乗って管工事業組合で、材料を調達するのだか管や管の継ぎ手の種類が結構あって、名前を覚えることからはじまった。

若かったし、すぐに覚えた。

軽トラに乗せるのは組合のおじさんが手伝ってくれるので、力仕事というほどでもなかった。

人によっては立派な力仕事だというかもしれない。

そして経理はすべてやってみた。

簿記はうっすらとしかわからなかったので、母から教わった。

「簿記を知らないで経理の仕事よくやってこれたね」と半ば呆れたように言われた。

簿記もすぐに覚えた。

母の教え方は独特で、こちらの認識状態を気にせず〈いきなり〉始まるのだ。
中学1年の時、音楽のテストで楽譜がよめず、テキストをみても深い理解できず、その時母は自称〈音楽は得意〉というので、試しにテスト範囲を教わったのだ。
…その時のテストはクラスにピアノを習っている女子2名と県内3位になった幼馴染の男子を抜いて、ほぼ満点となり、後に〈母のおかげ〉と語りぐさとなった。
後にも先にも音楽での高得点はこの後数回あっただけで、元に戻った(笑)


会計士相手は母が月に一度、月次訪問監査といって、経理処理をチェックし試算表(損益計算書、貸借対照表など)を作成し、決算時期となると夜までかかって会計士が事務所にいることも多かった。

ワタクシはこちらの方面は遠慮させていただき、銀行関係や集金、請求書をあげる、という事務仕事の他に、図面作成から、役所や警察に申請物がある時も書き損じがないように書類に不備がないか確認して提出することや、大きな工事の見積もりはその日のお昼までに大量の内訳を算出しなければならない仕事が大変だった。
管材屋さんへ見積りを出し、さらにこちらの算出方法のマニュアルがあり、それに当てはめて計算をしていく。
ちょっと最初は難解だったが、これも1カ月たたないうちに慣れ、お昼前にキレイな手描き見積りに仕上げられるようになった。
この時代はパソコンではなかったので、きれいな文字と数字が書けないとお仕事にはならなかった。

布設工事といって古くなった大きな道路にある本管の上水道管を新しく埋設する工事が一番金額が張った。広告会社の物件の単位より1ケタ多く、その規模を見ないと書面上ではよくわからない架空の工事にしか感じられなかった感覚だった。

下水道工事もあった。
田舎の一部地域では所帯数に対して下水道を配備するため、密集していない家の場合はほとんどが、浄化槽という数世帯分の浄化する大きな装置掘り埋めて下水処理をさせるのだ。
この大きな装置の中のしくみがおもしろかった。
微生物に処理させるので、なんてアナログなんだろうと思ったものだか、とても理にかなっていた。
浄化槽のことはカタログやメーカーからの資料で勉強したので、セールスできるくらいの知識にもなった。
知らない機材やめずらしい機械モノも読み漁っていたので、知識だけはもっていた。


配管図や申請図面も自ら書くので、外注に依頼する必要はないと宣言をした。

これで利益がまた増えた。

この時、考えてみたら初めて図面を書く経験をしたのだが、絵心があったのですんなりと図面を理解して道路の図を書きあげた。
この時に製図用のドラフターを初めて使ったわけだ。
子どもの頃は父用のドラフターが1台しかなかったのが、その頃には3台ほどあった記憶がある。

なのに、外注依頼不要とはよく言ってのけたものだ。

未回収の工事請求が一千万以上あった帳簿を見逃さなかった。

今度はこっちをやっつけてやろうとターゲットをしぼった。

再請求書をどんどん送りつけた。

予測通り、電話もせず送っただけで数社から数百万回収できた。

父は不思議がっていたので、再請求書を送ったことを告げるとものすごい剣幕で怒られた。

ここの考えはまったく違うので平行線のまま、もうすこしで1000万近い未払いが回収できる目前だったのでとてもくやしい思いが残った。

それでも、父の経営方法は間違ってはいなかった。

若かったワタクシには検討もつかないほどの、深い思いがあったのだろう。

相手方の状況をわかって留めておいたのだ。

24のワタクシにはこのことを理解できるまでもう少し時間がかかった。



どんな企業でも10年後残る確率は1%という。

今では同業者もどんどん潰れて大手か零細の一部が残っただけだ。

父の会社も残ったのだから、やっぱり間違っていない経営方針だったと思うのだ。



結局、この未回収の件で父と大ケンカをして、会社を辞めた。

たった5カ月の出来事だったが、父や母が社会的に働く姿を見るいい機会だったと思う。

普段は威圧的で笑顔なんてみたこともなかった父は取引先では腰が低く、よく笑っていた。

いつもの父ならすぐに噴火する場面でも社会的な場所では信じられないほど温厚な態度に衝撃を受けた。



また母の小切手や手形を手動でくるくる回して切る時の連打はものすごかった(笑)

普通、間違えないように慎重に数字を確認してゆっくり切るというものを。。。

今はチェックライターを使うのだろうが、昔はこのカラカラと回す音と印字する時におろす音のこぎみ良い風情というか、情緒みたいなものがあった。

母は 『計算機は好きじゃない』 と、これまたものすごい速さでせっかちに、そろばんをはじく。

合ってるのか?と疑うまでもない。

あの人に間違えなぞ、ない…ははっ。emoticon-0120-doh.gif

経理の仕事をしてきて、母を超えるユニークな人を見たことがない。

なんでも早く、無駄のない動きのうえに、そして正確だ。

こちらは金額のこととなると、緊張して何度も確認しても間違えるときがあるというのに。



ワタクシは一瞬でも一緒に仕事ができたことで両親の姿を改めて子ども目線から大人目線で認識できたということはラッキーだった。

弟は残念ながら両親のそういった姿をちゃんと知らないせいで、未だに大きな口を利いてしまうのだろうか?…ということにしておこう。




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by fairytalem | 2013-12-10 17:21 | つぶやき | Comments(0)

若き日の記憶の旅7~そりの合わない祖母編~

こんにちは、Fairytaleですemoticon-0100-smile.gif

祖父がいなくなった空間で家族が集まり何日か会議をした記憶がある。

おばあちゃんが独り暮らしに慣れていないという話しを家族会議での会話から察し、週末の土曜日は4年生の11月から6年生の卒業する3月までおじいちゃんちゃんがいなくなった家で、あまり反りの合わないおばあちゃんのところへ自ら毎週ひとりで泊まりに行きました。

友人との約束はすべて断って、なぜかおばあちゃんちへ行かねばならない使命感みたいなものがありました。

そういえば、親友のぶーよんとは一度祖父が健在だった頃、近所の県営球場の巨人のオープン戦のチケットを入手し、祖父が保護者として同行してくれたことがありました。

とても幸せな時間だったので、強く記憶に残っています。

大好きな人に囲まれた時間は同時に強い恐れに変わるという瞬間を憶えています。

大の巨人ファンだった祖父は選手を見て、○○だ、と指差しして普段は感情を表に出さない大正一ケタの祖父が嬉しそうに観戦している姿とぶーよんを交互にずっと見ていた記憶しかありません。

「あぁ、自分中心に二人がここにいてくれる…」 その実感はやがて恐れに変わるという不思議な体験をしました。

試合の途中で絵画教室へ行く時間になり、祖父とブーヨンを後に別れたのも、とても気持ちを落とした記憶が同時に残ります。


そんな些細なことでも、残念な記憶はなぜこうも残るのでしょうか。

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年寄りという生きものは、自分中心の思考が強く、自分がおかしいとか悪いとか絶対思わない逆ネガティブ思考。このマイペースな引きこもり系おばあちゃんの独特の思考は、成長期のワタクシに多大なる影響を与えることとなった。

例えばである…隣に八百屋さんが密接して建っているのだが、生活感も伝わることもありおばあちゃんの観察は相当なものだった。

売れ残った野菜やくだものを傷む前に値引きして売るということを絶対にしないスタイルの八百屋さんでした。

傷んで腐ってどうにもならなくなったものは産廃業者が引き取るというわけでないので、裏庭がおばあちゃんちの裏と地続きだったこともあり、その衝撃的な事実まで近所というのはわかってしまうわけです。

大きな穴を店主が休みの日に掘り、売れ残った野菜やくだものを放り込み、土をかけて蓋をする…というのを何十年も繰返していました。その異臭は夏場はとても住民にはきつかった、という点ではよくありませんね。
祖母の気持ちもわかります。

安く商品を売らないのは、当時箱売りを得意として店頭で飛ぶようにみかん箱やリンゴ、お米といったものが贈答品もあったので何箱も売れ、大儲けをした先代のやり方があったのです。

当時はその商法がめずらしく、時代の流れで経済成長も手伝い、この商法が当たったようです。

その先代も引退して間もなくすると、痴呆になり別人のように自転車に乗って遠く東北まで行ってしまった…とか、ゴミを拾い集め自室はゴミ屋敷化し、臭いまでただよってくる…というちょっとした事件にもなりました。

小学生だった4年ワタクシは、ボケてしまった別人の先代と先代の曾孫の幼馴染とつるんで、八百屋さんの本家の離れに隔離された先代の部屋へ遊びに行ったりしていました。

なぜ、子どもとはそんなところを好んで行くのか…なんて理由は、引力の関係とでも言っておきましょうか(笑)

衝撃だったのは、先代の部屋にあるタンスの引き出しを曾孫の幼馴染が開けると…
中からよくわからないゴミがぎっちり入っていて、ぼろぼろと出てくると、もう小学生ですから「きゃ~」といった具合で軽い遊びをやっていました。

店主の嫁(今は80代のおばあさん)に真っ赤な顔してよく怒られました。


でも幼馴染と自分は気持ちがあったので、寧ろ嫁が痴呆の先代をけむたがっていることが子どもの目からすると辛辣なものを感じました。

ワタクシたちは、なんだか気になる先代の曾おじいさんの部屋へ時々遊びがてらに行っては、葉っぱを加工して遊んだり、完全にボケていない時はお話しもしたりしてトンチンカンな会話をおもしろがったりもしましたが、痴呆という加齢による誰にでも有りうる現象を目の当たりにして現実を小学生なりに観察したものでした。

あまりにも汚れがひどい時は先代の娘である幼馴染のおばあさんが掃除に行き、ワタクシは他人ではありましたが一緒に掃除を何度もしました。

相当な臭いと汚れとゴミで…それはもうゴミ屋敷よりももっともっとすごいものがありました。

失禁もあったようでその臭いは大変なものでしたが、我慢して幼馴染と鼻をつまんで掃除をよくやりました。

うちのおばあちゃんはやめておきなさいといった感じだったと思いますが、聞く耳はないので好きなようにやっていました。

それから1年もたたなかったと思いますが、先代が永眠し、他人のワタクシでも幼馴染と離れの部屋まで何回か行き「こんなことあったよね(笑)」とか話したりして子どもなりに先代を偲んでいました。

先代の商売センスの恩恵があって立派な御殿が裏に建っており、そのずっと奥の堀川沿いにその離れの部屋があり、そこへ行くまでの間に立派な鯉がたくさんいる庭園を抜けないと行けない造りでした。

先代が亡くなってからワタクシたちの週末はもの足りない感じがあり、それを埋めるかのように立派な池の周囲に大きな石で囲ってあるちょっとしたスペースのある空間や石の間にどちらかが手紙を書いては、受け取り人は朝5時起きして見つけに行く…という夕刻に忍び込み手紙を隠し、早朝に見つけるというゲームを始めました。

鬼嫁がいる庭園に侵入するのはとっても子どもにはスリリングでこんな究極の楽しいリアルゲームはありませんでした。

それがバレるのは半年くらい先だったので、寒くなるまでしばらくは楽しんでいました。

嫁にバレるとお隣さんのおばあちゃんが代わりに怒られるという具合でしたが、それで祖母に怒られた記憶はありません。

寧ろ、鬼嫁が子どもの遊びを許さない姿勢に怒ってたようでした。

反りが合わないけど、そういう時はうちの孫はかわいいというわけですねemoticon-0136-giggle.gif

小学5年生くらいでそういう遊びは終わりを迎えました。


探検とか、ゲームとかそういった類いの外遊びよりも、幼馴染の家の階段脇の壁つたいにぎっしり詰まっている漫画本の方が魅力的になっていきました。
それからは引きこもりの遊び中心となり、そのうち1つ年下の幼馴染とその妹は3つ下ゆえ、つまらない遊びに感じるお年頃になるまでそう時間はかかりませんでした。

相変わらずおじいちゃんの居ない空間で過ごす週末は、特別なことは幼馴染とリアルゲームをしたことくらいで、年寄りと過ごす時間の退屈さは相当なものでした。
週末は宿題を持って、月刊少女漫画なかよし発売日が土曜だったのかな…それを買って泊まりに行きました。

当時はTVがそれなりに充実していて、おこちゃまは5時からずっと見る番組があったのです。
夕方になるとTVはお相撲さんを引退した龍虎が「おいしいですね」しかコメントを言わないのが売りという今では笑えない料理番組が人気を博していました。司会が吉村真理の「料理天国」という長寿番組がありました。
「まんがはじめて物語」で歴史漫画のタイムトリップし、その後「ヤッターマン」を見ていると夕食になりました。
夕食は母の一番下の叔父さんの好物がよくテーブルに並びました。
下の息子が相当かわいかったのでしょうね。
夕食は近所の総菜屋のコロッケや、時々豪華なまぐろのお刺身が食べられましたが、おばあちゃんのお味噌汁が一番おいしかったです。
すごく丁寧にゆっくりつくるんです。
多分、器用な人ではなかったのだと思いますが、丁寧につくるのでとても味はよかったです。
母はそんな祖母をノロイと言っていましたが、ワタクシはおいしいお味噌汁の方が断然いいとずっと思っていました。

遠足に遅刻するほどお弁当づくりが遅くて間に合わず、毎度イライラした話しを聞かされましたが、でもきっとおいしかったんだと思うんですよね。

そこの大事な部分が抜けている母を少し疑いの目で見ていました。

夜は、小学生には遅い時間の9時から渋めのドラマ「ちょっとマイウェイ」主演桃井かおりと緒方拳、八千草薫、研ナオコ、岸本加代子という豪華キャスト。これがたまらなく良かった小学生でした。オープニングイラストが漫画家の倉田江美で、主題歌が「夜明けのマイウェイ」という曲で♪悲しみをいくつか~乗り越えてみました~振り返るアナタの背中を追いかけてみましました~♪…あ、全部歌えるかも…
いいなぁ~昭和。
信用金庫(役名あだな)って、神田正輝だったんだ~わかーい。
懐かし~です~(T_T)
YouTubeで見ちゃいましたw…

演歌の花道だけはおばあちゃんにゆずってあげないと、ものすごい剣幕で怒られるので仕方なく「渋い演歌」を聴かされました。…演歌も歌えますよ…

夕方前には母と弟が迎えに来るので、使命を果たすため、ただただおばあちゃんの1週間分の愚痴をずっと聞き役でいてあげました。

今ならできませんねw

夕食は年寄りには理解できないコーンスープを何度も希望しましたが、牛乳とコーン缶が分離して味気ない単なる牛乳と沈殿したコーンを何度も味わう羽目になりました。
6年生頃になると分離していないコーンスープになりました(笑)

おばあちゃんとつくったのは「あんこ」です。

前日に小豆を水に浸しておき、煮るのです。

ワタクシの料理は…思い出しましたが、祖母から教わったものでした。

すっかり記憶から抜け出ておりましたが、ワタクシお味噌汁は自慢ではありませんが結構上手なんですよ。
おいしいお味噌汁ってありそうでないんですよね。
母のは…NGです(笑)

同じ食材でもどうしてこうも味って違うのか、不思議です。

カルトナージュも同じですね。

祖母とは反りが合わなかったはずなのですが…悪いことがなかなか思い出せません。
もう他界して90才で長寿を全うし、まさに水分が蒸発していくように老衰でした。

中学になりバスケ部に入部したためお泊まりはできなくなり、おばあちゃんが寂しい思いをしていたかもしれません。
もうその頃は思春期ですから、自分のことで精一杯になり、

たった2年ちょっとの毎週末のお泊まりは終わりました。





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by fairytalem | 2013-11-19 11:02 | つぶやき | Comments(0)

カルトナージュやタッセルなど手仕事をご紹介


by fairytale
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