ムスメを見ていて思うこと
2017年 02月 27日
ごきげんいかがですか?Fairytaleです。
乾燥した空気と冬の青空をアトリエの窓のブラインド越に目を細めて、顔を上げて見る。
こんなにゆっくり流れる時間の中で、過ごす心地良さを感じている。
心のひだがのびて、まったりとしていることを感じている。
何をしてもいいし、誰もとがめはしない、この自由な空間に私は存在している。
蜂蜜を瓶の1/3いれる。
農薬をとるため、重曹で表面をこすり⇒熱湯に1分ほど入れて⇒流水でよく洗う。(これで農薬は落ちます)
輪切りにしたレモンはタネをとって敷き詰めたら、てん菜糖など(上白糖でない精製工程の少ない砂糖)を上からかけて、レモンをまた1層敷き詰めて砂糖をかけるを繰り返します。
翌日にはレモンが砂糖で馴染みますので、お湯でホット蜂蜜レモンをいただきます♡
ヨーグルトにかけたり、お菓子にもつかいます♪
やってみたいことをこれから『さぁ、とりかかるぞ!』と腕まくりをして始めるもよし、
う~んと唸って絞り出すようにイメージを形にするのもよし。
はたまた、娘に『コレどう思うよ?』(母)と質問してから『いや、そーじゃないんだよ』
『相談しなくてよくね?』(娘)と返しも早く自爆。
私の人生には、私から生まれてきた娘が登場してから、随分と色んなギフトももらってきました。
ときどき、つまらない母になる私を戒めるかのような出来事が起こったり、その時々に娘の心の拡大を頼もしくニヤニヤしてしまう。
私の教えはとてもじゃないけど人様には言えるような立派なことはないけれど、ムスメは正義感が強く誰にでも公平な態度をとれるところ(担任になる先生は必ずそう言いますが、家ではわがまま放題のダメっぷり爆裂)があると言われるのが今でも不思議です。
そんな姿を一度も見たり遭遇したりしたことがないからです。
子どもの視点や領域は親から離れるまで拡大しにくい。
過干渉も野放しも結局は同じこと。
よく子どもを信頼して…とか言うけど、
自分の子どもの行動なんてだいたい程度がわかっているからここらへんくらいやらかすなぁと予測も外れることもない。(成長が遅いのも問題だけど)
だから、信頼という言葉はちょっとかっこつけてやしないかと思う。
そんなことよりも、転んでも自力で立ち上がり、逃げないで受け止める力をつけてもらいたいのだ。
都合よくすぐに解決なんてしやしない。
ここを皆焦り過ぎる。
解決するときは、こちらの意図とは無関係に自然に訪れる。
時には時間もかかることもあるし、解決なんてしないものもある。
大概は、解決しない小さなことが積みあがってモヤモヤしているのが中学生女子なのだ。
大いに悩んで、体験して親の知らない秘密をかかえるもんだ。
まだここが消化しにくいらしく、逃避してしまう傾向がある、我がムスメ。
ストレスは大人になってもずっとある。
ただ、ストレスの捉え方を変える知力は持ってゆくといいなと思っている。
夜中までイラストを描いて、朝が起きられず遅刻してしまうような要領の悪いムスメ。
ワタクシはなぜか、この要領の悪いところでイライラもするけれど、手を出さないでもっとひどいことになるのを見ているのもいいものだなと思う。
失敗のような状況を常に見せられてイライラしてしまうのは、よく考えるとこちらの問題なのだ(笑)
間違っても失敗してもいいのが人生だ。
だから、ムスメに何かを言おうとしても意味のある言葉がそんなに多くは出てこない。
ダメでもいいよって、いつも言ってしまうのだ。
その肯定される安心感は生きていくうえでとても大事な感覚です。
誰もが子どもの頃に感じた経験があるだろう、頼もしい近所のおばちゃんだったり、親戚のおじちゃんだったり、親の仕事先の専務だったり、祖父母だったりする。学校の先生でもいい(いればね)
そこを基軸にして、発動することだって中学生ならもう、できる。
それに気がつくか、もっと愛情が欲しいと底なしになるかは本人の感性とセンスなんだと思うのだ。
そこから何か新しい行動が起こり始めるのを私は知っている。
さて、自分のことを春分の日までに決めていかなくちゃ!
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