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拝啓、おじいちゃん

こんにちは、Fairytaleです^^


今日は30数年前に亡くなった母方の祖父の命日です。

もう、5年生から毎年毎年この日は自分だけの儀式のような日になっています。

子どもだった頃は亡くなった病院のお部屋まで行ったこともありました。お墓まで行ってお花とお線香を添える年が多かったと思います。

今は亡き祖父を随分長いこと求めてやまなかったため、つらい子ども時代でした。


無条件で愛してくれる存在はこの世に1人いれば充分です。

私の場合それは両親ではなく、祖父だったのです。



祖父はおしゃれで普段は物静かなのですが、役所勤めで最後は収入役だったこともありとても社交家であったようで、たくさんの部下がよく応接間に集まったそうです。

部下の面倒見もよく、できない上司(市長…)のフォローのお役目だったり、祖父を悪く言う人間はいなかったとも聞きました。

その祖父の生い立ちがとても気になり、5年生のワタクシは、周囲から情報収集しました。

福島出身の両親(ワタクシの曾お爺さんたち)は子どもがいなかったのでお兄さんの生まれたばかりの赤ちゃんを養子に引き取り、群馬へ流れてきたそうです。

もののない時代、食いっぱぐれないように曾おじいさんはボイラー技士の免許を取り、ひとり息子を育てるうち実の子どもが生まれたそうで、そのまま二男として育て、次に長女と3人の子宝に恵まれたそうです。

気前のいい曾おじいさんは、友人知人問わず知らない人まで飲みに家まで連れて来るような人で、しっかり者の曾おばあさんは「ばかじじい」と陰で言っていたそうで、そうは言っても来る人を追い出したりはしない曾おばあさんも実は気風のいい人だったようです。

当時はボイラー技士の仕事は大きな病院に重要な仕事だったため、生活はギリギリでもやっていけたようです。

遺影を見ると、曾おじいさんと祖父は実の親子でなかったにしても、親族だったこともありとても似ていました。また二男の弟とは従兄弟になるのですが、一卵性のように似ていたので妹すらお婆さんになるまでこの事実を知らされなかったそうです。またそれはおそらく知る必要性のないくらいほど仲が良かった家族と親族だったのでしょう。

皆、外面はいい人で、家では…という感じでもなく穏やかな人間が多かったと感じます。

…ワタクシとは違って(笑)


祖父は実の子として、両親を本当の親と思っていたようで不平不満なく、また本当の両親がいる福島の親戚の家に行くことは一生涯なかったそうです。

本当のところはどうかわかりませんが、強い精神を持ち合わせていたのは確かです。

大正1ケタ生まれの祖父が高校生の時に、担任の先生が大学進学を勧めに来たくらい成績は優秀だったそうですが、ボイラー技士には子ども3人と妻を養うのが精一杯で進学は諦めたそうです。

…ここできっとかなりの葛藤にあったと想像できます。

祖父の愛情は静かで懐の広いやわらかいクッションのようなエネルギーでしたから、若い頃はきっと情熱も人一倍あったのではないでしょうか。

近所の子どもの進路が決まらず、ぐれぐれしていたので祖父は消防士を薦めたところ、試験日に遅刻し無効になりかけたのを昔でしたので祖父のコネで再試験をし、無事に消防士からレンジャー部隊、消防署長になって最近退職されました。

祖父に足を向けて寝られないという人間の話をたくさん聞きました。

そんな祖父だから出世もできたのは当然の成り行きです。

その出世にもワタクシが想像するに、そんなに躍起になっていなかったと感じます。

この人生の枠内でどう生きるか?を考えていたのだと思うんです。


小学校6年生の頃、ワタクシは祖父の衝撃的事実を知ってしまいました。

祖父に隠し子がいたそうです。

祖父は大正生まれで180センチ近い長身の上、すっとした体形にオーダースーツで身を包み、玄関から呼び鈴が鳴ると速足でか髪の前まで行き髪型を整えてから出る…、誰がみてもダンディー。

小学生のワタクシもおじいちゃんと居てもはずかしいどころか、いい香りのする自慢の祖父でした。


ショックだったけれど、なんだか受け入れられたのは祖父は不幸でなかったんだと思えたからです。

きれいな女性で二人の話は有名だったそうで人目を阻むことなく彼女のお店に通っていたそうです。

母より10歳くらい下の男の子がいたそうです。

周囲からは色んな憶測で 「退職金を隠し子に渡した」 などと言われていたそうです。

それは傍目から見ても贅沢をする生活ではなかったことや持ち家を建てることなく、一生を終えたからです。

祖父の部下でさえ豪邸に住んでいたのでそれくらいの収入は裕にあったでしょう。


でもワタクシが知る限り、祖父はいいものにこだわっていたので、めずらしいものや、とんかつは揚げたてを買いに一緒にいったり、二人で洋食屋に行ったり、毎週末娘家族と連れて食事会は欠かさず、また旅行をたくさんしていたようでした。当時もらった韓国のおみやげは、どこかに仕舞ってあります。

そして、壁一面は書棚になっていて、難しい書籍ばかり専門書ものが多かったですね。

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ある時、記憶をたどったことがありハッとしました。

ワタクシはその女性のお店に1度だけ行ったことがありました。

二人の間には、かすかな愛のようなエネルギーを感じたので幼稚園児だった5歳でも記憶に残っていました。

和服の似合う品のあるきれいな女性でした。

ドラマのようにこぎれいな小料理屋で、少し高級なお店でした。

そして、「お孫さんなのね」と優しく声をかけてくれて、ジュースか何か頂いたと思います。

おぼろげに今でも憶えています。

その女性は間もなく亡くなったそうで、祖父はその5年後追ってあの世で再会を果たしたことでしょう。


不思議とヤキモチや嫉妬としった感情は起こらず、そういう女性がいてもおかしくないと思っていました。
寧ろ、他に愛する女性がいてそれも心から愛する女性にこの世でこんな形でも出逢えた祖父に、ほっとした…というのが本音です。


形式に囚われず、真実からも逃げず、正々堂々とあの昭和を生き抜けたなんて…すばらしいとさえ思います。


祖母からも恨みつらみもなく、お見合い結婚ゆえ仕方無かったと思っている様子でした。

そこには女の嫉妬は微塵もなく、年老いた祖母だけ取り残された風景が今でも焼き付いています。

それは悲しいとか寂しいとかそんな子ども染みた一方的なエネルギーを吸い取るような、薄っぺらいものじゃなくて、人間の一生は計り知れない繰り返された歴史…古い習慣とそれを超える不可能さに苦悩した日々をいかにどう乗り越えるかに、実は目的意図があるのかもしれません。



人間として祖父が全うできたと…ワタクシは今でもそう思っています。

おじいちゃん、そちらではいかがでしょうか?
もう肉体から離れて随分経過していますが…今回は転生しないのですね。

どうやら、弟の指導霊としてついているようです^^
そう感じるので物理的証明はできませんが…おそらく、です。

今生ではワタクシに愛情を注いだことで、祖父はもう充分と思えるので、幼くて何もしてあげられなかった弟へあちらの世界から支える選択をしているのです。


このお話しの、信じる信じない論はもういいかな(笑)

ご自身のいいように解釈なさっていただいて結構です。


人生折り返し地点まであともう少しです。

まだまだ、やりますよ!




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by fairytalem | 2014-10-27 18:51 | つぶやき | Comments(0)