若き日の記憶の旅10~腐ったみかん編~

当時の人気漫画高橋千鶴原作『グットモーニングメグ』のかっこいい良平君がバスケ部だったということで、運動嫌いで運痴でもあったにもかかわらず、単純なノリだけで小学校から一緒だったT子と体育会系へ志願してしまった。

そういう動機はおもしろいと思っていたが、自分の愚かさを後にひどく悔いたものだ。

小学校の徒競争では5~6人で走ってゲビ2が定番だった上、体育の成績も2が定番だった。素質もなければ闘争心というものもなく、競う意味がわからなかった。やる気ゼロ、根気ゼロ、元気ゼロのワタクシにとってバスケ部の運動量の多さにはすぐに《退部》という文字が見えていた。

どれくらいバスケ部は壮絶だったかというと、男子と合同練習という形式だったので、体力的に男子並みになってくるのを顧問が期待し結果、県内で優勝圏内にいた。


少女マンガレベルのワタクシたち三羽がらすは、本気ダッシュで校外一周をタイムウォッチで先輩が計測記録しノートに刻印され、少しでもタイムが下がると過酷にもさらに数周追走させられた。

倒れる子もいた。当然すぎるであろう。命があってよかったと本気で思う。


もちろん、今では信じられないけれど水は禁止。2時間近く10周以上走らされても、一滴もダメ。最後に真っ赤になった後輩が抗議の目をむき出しにすると《そろそろ水OK》の解禁となるのだ。真夏の10週は体罰と言っていいレベルだったゆえ、心臓が飛び出しそうなくらい動悸が激しくのどを通る空気の水分すら惜しむかのうように激しい呼吸に、軽い呼吸困難にかかっていた。

ワタクシはというと、先輩の目をぬすんで友人を誘ってかくれて水分を補給していた。

《バカバカしい…》 きっと2年の先輩が3年の先輩から受けたことを繰り返して楽しんでいるだけだった。

その中でも一番酷な2年の先輩はすごくかわゆく男子から一番人気だったらしいが、性格がゆがんでいた。
よく言いがかりつけられたことは、渡り廊下ですれ違う時に先輩を無視したと覚えのないことで責められた。
気が付かなかったのだろうが、先輩たち曰く廊下に出たらいつでもどこでも先輩がいると思って注意を払うもんだ、と。

集団で移動する先輩20名以上が目の前を通過するまで全員の数だけきっちり頭を90度さげて 『こんにちわぁ~』 と大声でハッキリと《ほとんど怒鳴る感じ》挨拶するのが基本だった。


その頃、《先生方はこのおかしな行為をどう捉えていらっしゃるのか…》と思うばかりだった。



運痴のこのワタクシが、バスケ部での壮絶な走り込みの特訓を毎日毎日先輩のいじめのしごきに耐え、時には倒れ込むと罵倒され散々けなされた挙句、生きている価値までもないような言われ方をされた。

無論帰宅時の三羽がらすは先輩の悪口をどう表現するか言い合い、大笑いして暗い夜道を明るくしたものだ。

気の小さい三羽がらすにはこの時間でペイするしかなかった。

中2の秋の校内マラソン大会の中2女子の部では、マンモス校ゆえ200人程度いたであろうか…12~14位だったと記憶する。

このワタクシが…です。
その中には本職の陸上部がいます…というか、本職を抜いてました。

10位の内訳は、内輪バスケ部のレギュラーメンバーばかり。いつも三羽がらすが抜けないスタメンがズラッと並んでいました。

それくらい鍛えられていたのです。

その前日に足をくじいて腫れていたので、担任に欠場を切願したところ《うそね》と、とりついでもらえず、ムッときていたこともあり、それが原動力となって三羽がらすの中でも早かったのかもしれない。
担任は《くじいていなかったらもっと結果出せたのにね…疑って悪かった》と謝ってきた。
きっとこんな上位にくいこんだくらいマラソンは好きなのに、よほど痛かったのを無理させてしまった…と思ったようだ。

イヤイヤ違いまっせ。

マジで走るのは嫌いなのよ~ん021.gif

結果なんてどうだっていいんだもの(笑)

好きか嫌いかですべてを決めていたワタクシは、今でも正解だったと思う。

成績がいいからとか結果が出せるからという理由で選んでばかりいるといつかはつらいことになるのだから。

ものごとはすべてこの《好きか嫌いか》というシンプルなものだと、歳を重ねるごとに強く確信していく。



バスケ部はなぜすぐに辞めずに続いたのか、理由は多分ムキになっていただけだと思う。
今のワタクシなら即退部だろう。
スタメンとなれるには小学校でミニバスに所属し経験を積んでいないとなれない。ミニバスメンバー以外でもメキメキと上達していった長身の子はときどき交替で試合に出られた。
別段、試合に出たいという情熱もなくもっぱら応援しているほうが気ラクではあった。
基礎体力づくりが8割いや9割で、残りの1割それ以下の実践技術という配分の練習が日課となった三羽がらす。
スタメン以外はプレイの指導をほとんど受けたことが無いというのが実情だった。

そのことに疑問もなく、そういった小さな世界を受け入れるだけの中学1年生だった。長身のT田さんは上達しただけあって顧問Mに時々くいさがっている光景を見て《すごい意欲だな》と感心した。三羽がらすにはそういった向上心も期待もなく情けないが、ただつらい練習をこなすだけで精一杯だった。


顧問のM下先生《Mと呼び捨てしていた》は、プレイが気に入らないと折りたたみ椅子を女子の先輩に投げつけてアザができるほど過激な指導?だった。

ワタクシはMの事は大嫌いだった。

三羽がらすももれなくそうだった。

夏休みには卒業生がご指導に参加することがあり、高校生の先輩のシュートは惚れ惚れするスタイリッシュな姿だった。ひとりの時や間違って早く部活に出てしまった時にこっそりその先輩のシュートスタイルを真似して練習をしていたことがあった。決して向上心とかバスケ愛でやっていたわけではない。すると、顧問Mが入口からじっとこちらを凝視しているではないか!

途端、心の中を見られたような恥ずかしさで練習をやめた。

すると顧問Mは黙ってボールを拾いワタクシが求めるそのスタイリッシュなフォームのシュートを見せた…震えるほど悪寒が走った。日頃、三羽がらすのダメっぷりに指導らしいことなど受けたことなく無視待遇だったことや有望なメンバー以外はゴミだとばかりの扱いであったことをよく理解していたからだ。

《これが宗方コーチだったらときめくんだろうが、誰ひとり顧問Mにそうなることはおそらくない》


その後、優位になってきた試合で途中交代として初めて名前を呼ばれた。

困惑しながらも、緊張してカーッとなり視野が湾曲してゆがんでみえるほど、自分はどんなプレイをしたのか覚えていない。バスケ部であっても知らなかった3秒ルールのことや、試合ではボールを取り合う時、相手から足を踏まれたり、肘鉄をくらわせられたり、睨んでいかくすることを試合で知った。

その時の違和感は、見た目と違ってバスケって全然爽やかじゃない…
自分には合わないと思い知った。(自分が爽やかであるかは疑問ではあるが)


部長のジュンコとは、なぜか仲良くしていたこともあり部活以外にもよく話をする仲だった。

三羽がらすとはまた違った慣れ合いのない、よき友人であった。
ジュンコやミニバス経験のスタメンは小粒ぞろいで、それぞれの個性があり中でもジュンコのプレイはカッコよかった。一番シュート数の多いマユミは高慢ちきなところが皆から共感されなかったようだ。ワタクシは2年のときマユミと同じクラスになった時、ちょっとしたエピソードがあったので同情の目が手伝いそう思うこともなくなった。

マユミは小学校時代同じクラスだったSのことがかなり好きだったようだ。

筆箱のカンペンが部室に落ちていたことがあり、T子がフタを開けたとき…S❤LOVEと太っといカラーマーカーで流行りの丸字で女子らしくハートまで描いてある、禁断の特上機密情報が飛び込んできた。

日頃マユミをよく思っていなかったT子の目はランラン。
どう料理するか声を上げた。

《ダメだよ。これはここだけの話にしておこう。》と三羽がらすのふたりはT子をなだめた。

筆箱をマユミの棚へ置いて素知らぬ顔をしておいた。部室に戻ってきたマユミは置いたはずのない筆箱をすぐにみつけハッとした表情をして、きょろきょろと周囲を見渡したようだったが無反応の三羽がらすを見て筆箱を仕舞いまた出ていった。

三羽がらすは顔を見合わせて噴き出して笑ったが、マユミのことをちょっとだけかわいそうに思った。

同じクラスゆえ、Sに目線を常に合わせているマユミを見るのはつらかった。その恋はかなうことはないとよく知っていたからだ。Sは隣のクラスの美人のE子からも熱烈に求愛されているモテ男子だったが、小学校から一緒だったワタクシには共感を感じられず他人事だった。E子からラブレターとプレゼントをSに渡して欲しいと急に頼まれたことがあり、とても困ったことがあった。もちろん自信のあるE子は堂々としていたので何度もトライしてもSは受け取らなかったため最後の手段として託されてしまった。

一部始終こちらを観察していたマユミの視線も痛かった。

何度目であったであろう、Sが 《おい、お前友達だろう。これ返してくれ。》 とぶっきらぼうに誰もいない教室のロッカーでタイミングを見計らってなにやら開封した形跡がない大きな袋をつき出してきた。

E子に渡す時、ワタクシが申し訳ない気分になりその大きな袋をSの替わりに返した。
《ふん…》と意外にあっけなくE子は失恋をすぐに受け入れた。
諦めてくれて安堵したのを覚えている。

成人して最初のOLの時、Sが飛び込みで最新パソコン導入を勧める中堅企業の新人営業マンで受付に入ってきた。
びっくりしたのはSが身長もぐんと伸びて、スラッとしたスタイルにスーツでカッコよくきめていたことだった。
マユミもE子もあの時にこうなることがわかっていたのか…
しかし硬派だったSと少しだけ会話したのが 『今度飲みに行こうぜ』…ありふれたチャラいハタチになっていたことが残念でならなかった。
余談だが、Sの妹はけっこうな美人で有名だった。
実の3つ下の弟の事が好きだという《電話》の受話器をひろったことがあった。
《随分と奇特な子だ》と姉は思った。


中1の春、成績が急に上がった理由が《いじめにあった》ことと《頭のいい男子たちと席が隣になった》ことが要因だった。

Fちゃんの1つ上のお姉さん曰く当時の新入学生はまだ小学生っぽくきゃぴきゃぴしていた中、ワタクシは大人の目をして落ち着いていたそうだ。勉強が面白くなった頃で、英語をもっと知りたい発音を正確にとらえたいという洋楽好きが高じて、歌詞をノートに毎日書いて自分なりに訳し、歌詞イメージのイラストも描いて1冊にまとめていた。詩を書いたりすることもあったのだが、皆には意味不明な文章で読まれても意味がわからないだろうと気にもとめなかった。あるとき仲良くしてくるRさんが一緒のトイレに誘ってきたがそういうのは面倒だったので《自分のタイミングでいくからどうぞ》と言ったことがきっかけで《生意気》となったようだった。

それからないことをクラスに吹きこみ、またそれを鵜呑みにしたクラスメイトたちを相手に散々な思いをした。

これは2学期まで続いたのだから、この時間はひとりの時間は勉強をして過ごすことにした。
色々と邪魔もされたし、ひどい言われ方もしたが、果たしてそれが真実かどうかなんてクラスではどうでもよいことだった。それが自分に向けられていなければいいのだから。

お陰様で成績不遇な小学校時代とは歴然と違いが出た。勉強をするとちゃんとそのまま《正当》に成績として残ることが心から嬉しいと思った。担任のケメコは先入観もなく公平に見たままを捉えられる、ちゃんとした大人の教師だった。クラスでの空気はわかっていたので原因が誰であるか聞いてきたこともあったが、その必要性はないとあえて断った。そういう会話ができるワタクシを《間違いのない生徒》として扱ってくれた。
当時、1日をどう過ごしたか質問や相談なども記入できた時間割表日記を毎日ケメコに提出する習慣があった。
原因のRさんを大人のケメコが突きとめるのは観察していれば容易なことであったでろう。Rさんはケメコから呼び出しされて強く注意を受けたらしかった。

そのはらいせとして、ワタクシの時間割日記帳で《チクったはずの相談欄》を確認したかったようで、ワタクシの机の中を隙を見てはあさっていた。そんなくだらないことを書く気になるわけがない。申し訳ないがイヤイヤ提出しているRさんとは違って、きれいに記入して色分けまでし、時にはイラストまで描いてある特別な日記仕様だった。

結果的にRさんには見られたのだが、《チクった形跡》など見つかることもなく、プライベートな過ごし方があまりにも違い過ぎることに驚いたであろう。

部活でのしごきに耐えて帰宅し、好きなアーティストの洋楽を聴き、辞書で調べながら訳し、イラスト画や詩をを描いたり、マイコーチで予習を夜中まで勉強をしていた。

休み時間は話をする人もいなかったので《無害な男子だけしか話ができなかった》ひたすら勉強するしかなかった。

学年イチ、県内1位の神童と言われた男子と幼稚園からピアノ教室で一緒だったくされ縁のイシダが隣の席になった時は、いじめから解放された。

イシダは小学校時代も黒ぶち眼鏡で体格もよく、その風貌から真逆な繊細なピアノを弾き、コンクールで成績を残したヤツで、勉強もよくできた。いい例は、わからない難解な数学の問題を二人に聞くと返ってくる回答の違いがそのままの人格を表していた。神童は考え方を筋道たててわかるように説明してくれるので、共感を抱きやすい。
イシダは、答えを教えてくれるだけ。

クラス単位のいじめが軟化したきっかけは二人のおかげだと思う。

イシダの成績も一度だけ神童を抜いて1位になったことがあった。

ヤツには目的があった。

当時最新のPCは100万円ほどしたとイシダは言っていたが、それが欲しいがためにその時だけ勉強したというんだから親はたまったもんじゃない。

勉強ができるだけじゃなく、おバカ全開のイシダと過ごす夏休みはエキセントリックだった。

PCをいじくっている様もこちらは訳がわからないが、おもしろそうな代物だったし、休憩で下のリビングにあるグランドピアノにはウットリする腕前だった。

『もっと、弾いてよ』 と言ってもきいてくれやしない。

思春期の男子の心理や身体の機能の話しなど何でも教えてくれた。

恥ずかし気もなく、幼馴染という長い付き合いで気楽な関係は心の負担もなく居心地がよかった。

おそらくクラスでのこともわかっていたから、お勉強のデキル2人に挟まれ大人な会話がつくるその場のオーラも変わっていったであろう。
一度だけイシダが《気にするな》と言ったことがあった。

そうだなと思い、相手にすることはなかった。

神童の隣の席のサチミは神童のやり方をいたく尊敬していた。
イシダの適当さを批判していたが、中坊男子に期待するほうがおかしい。
イシダのわかりにくいやさしさを知っていたから、サチミとは違った見解だった。

神童は東大法学部へ、イシダは地元の自由な高専へ進路を決めた。イシダはエレベーターの会社へ入社したというところまでの情報で途絶えている。神童の卒業後は中央省庁だと人伝えで知った程度だ。

個人的にはイシダの方が頭は切れると思っている。

何が二人の違いがあるのかは、当時からよく理解できた。

日本には神童のような人が省庁にたくさんいるのだろう。中1で『人生の基盤をつくるために勉強をする』と言っていただけはある。

イシダの父親は陶芸作家でアトリエに籠って制作していた血筋がきっと今頃、遅咲きしているのだろうと想像する。




ある日の部活の練習の時、三羽がらすのT子から飴をもらった。何も考えず口へほうりこんだ。
T子は、部長のジュンコにも渡した。

しばらくすると顧問Mが怒鳴りながら《飴を口に入れている奴は出ていけ》と体育館へ入ってきた。

黙って、素直に出ていく三羽がらす…振り返るとジュンコは横を向いてその場に残っていた。

それ以来ワタクシたちの友情にヒビが入り、元のように話さなくなった。

職員室に別々に呼び出しされ、飴の一件に対して《土下座して謝ったら復帰させてやらんでもない》と言われ迷いなく『謝るくらいなら喜んで退部します』 と言って帰ろうと背を向けた。

《ちょっと待て》と、ごちゃごちゃ何かを言ってきたようだったが何を言われたかは覚えていないが、部長はおとがめなしで三羽がらすには 《お前らは腐ったみかんだ》 と言い放った。

『腐ったみかんでも、どう思われてもいいですが、平等と公平については納得いきませんのでご指導も結構です』と今度は後ろから何を言われても振り返らなかった。

T子ももちろん謝る気なんて毛頭ないので、そのまま退部となった。

中3の春だった。

T子は部長を散々悪く言っていたけれど、ワタクシはどうしてもそこまで言うことができなかった。あの時のジュンコに《あなたたちとは違うわ》という明らかな態度に、皆と違う部分で繋がっていたと思い込んでいた愚かな自分を憐れんだ。

意に反して意外と長かったバスケ部に幕を下ろした。

卒業アルバムのバスケ部は1年時に20人近く入部していたハズが7名だったか…そのうちのひとりYは部活に参加せず、籍だけおいて内申書に記載が残ることを意図して卒業アルバム撮影だけちゃっかりと最後までいたかのように、輝かしい笑顔で今も写っている。

そのとき悟ったのは、要領のいいやつは人生をどうやり過ごすか知ってるんだ。
…そんな生き方は自分にはできないけれど。

そのYとはワタクシの結婚した26才頃くらいまでの大転機までつきあいが続いた。
進路別に商業高校へ行ったT子とは疎遠になり、女子高へ行ったFちゃんとは疎遠になりつつも時々連絡を取って関係は継続。普通高校へ行ったワタクシとYは別の近隣高校であったが、後にも先にも中学での取っ組み合いのケンカをした唯一の女子という記憶を乗り越えて?深いつきあいとなっていった。

あのときのことを1度だけ真意を聞いておきたかったので、ジュンコのいるクラスへ会いにいったことがあった。
ジュンコの茶色い瞳は、もう友人じゃないという目をしていた。

部長である地位を選んだことを当然であると思ったし、責める気にもなれなかった。
三羽がらすとは違うんだというエリートスタメンであるプライドは《あやまち》からジュンコを支えていた。何も伝えずにその場を去った。
言葉を重ねても何も出てこない気がしたからだ。

そのとき友人であったと思い込んでいた、あったはずの1本の糸がすでに無くなっていたことを確認した。

顧問Mは部長に《友達は選べ》と言われたらしい。


~腐ったみかんは、自分が腐っているとは露ほども知らないものだ~



T子もワタクシもバカかもしれないが、能天気でへんなところで頑張ったりして要領の悪い自分たちを結構気に入っていた。

大人になって時々落ち込むことがあるけれど、T子やFちゃんと過ごした下校のひとときや、イシダや神童との難解な会話は今でもふっと元気をくれる。



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by fairytalem | 2014-05-06 17:04 | つぶやき

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