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若き日の記憶の旅5

こんばんは、Fairytaleですemoticon-0144-nod.gif

若き日の記憶の旅5~切ない思い出編~

母は過労でよく腎盂炎になり、それも急性の強い症状でベッドから出られないほどが数回あった。
掛かり付けの医師からは相当父は怒られたはずだ。このままでは死んでしまうとまで言われたようだった。
もともと身体の弱い母は、強度の貧血症で1年以上中学の時に入院生活をしていたくらいだ。

今はピンピンのおばあさんならぬ10歳は若く見えるアクティブな母からは想像もできない。

病弱で倒れる母とよく泣く弟、すぐに怒る父…私の家族はそんなだった。
書いていて笑ってしまった。

そして、ワタクシはどんな子どもだったのだろうか。

今もがんばって試行錯誤と研究の日々を朝から晩まで時には徹夜をしてまでやっているが、色んな意味で子ども時代の自分には敵わない。

高学年の5年生くらいになった頃か、母は実家のおばあちゃん家へ帰ってしまうことが何度かあった。

今で言う〈プチ家出〉だ。

山盛りになっていく洗濯物とお腹をすかせる弟と自分。

仕方ないので、洗濯機をまわし干してみた。

父はその時どんなふうだったか記憶にない。

そして、ガス窯でおいしいご飯をつくって食べた。

〈なんだ、自分でもいけるではないか?!〉

スパゲッティーの頃とはちょっと違うぞemoticon-0105-wink.gif


心配して母が戻ってくる頃には、ワタクシも慣れてきてそれなりにできるようになった活躍を称えるどころか、やる必要がなくなりなんだか気に食わない。

こういう子どもは、褒めなくてもいいから頼ってどんどん使うべきだと思う。

母はワタクシを〈見損なっている〉と思っていた。

母の口癖は〈子どもは知らなくていい〉

イヤイヤ、全部わかっているから。

(ムスメがとぼけて知らないふりをしているのもわかっているつもりだ)

そろそろ〈プチ家出〉をして不便であろうかと察し、母の普段着と下着類を旅行バックに放り込み、自分のベッドの下へしのばせておいた。

学校から帰宅するとそのバックがなくなっていたので、取りに来たなと思った。

それまでに必要かと確認なぞしない、そういう小学生だった。

お買い物するとき言葉の足りない母の通訳フォローをする役目で、外出は気が気ではなかった。

(今はムスメがそう思っているのかもしれない)


小学生高学年になると、料理本を見つけてつくるようになった。

ワタクシの料理は料理本が師匠で、当時は読みにくい文章とモノクロで何の具材か見分けのつかない写真が多く、不親切なものがほとんどだったので、想像して作ったものだ。

そんなだから、食べられるレベルのものは作れるようになったが、いつまで経っても上手に作れるまでには到達しなかった。

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クッキーを3年生の時につくったちょっとした事件がある。

今思うと相当あやしいクッキーなのだが、バターの代わりにマーガリンをつかって、コネコネして冷蔵庫に寝かして焼いたもので、あまり甘くない風味のない、さらに言うとよく火が通っていない小麦粉の風味だけが残る…まさに子どもが作ったないないずくしの味だ。

それでも形になっただけでもうれしくて、親友のブーヨンに廊下で試食してもらった。

『味はあまりおいしくないんだけど…』 と、何度も念をおした。

いつも意地悪な子ものぞいてきて、調子よく 『ちょうだい』 と勝手に食べられてしまい、『はじめて作ったの?おいしいじゃん』 と言い放ち、もっと奪っていった。

まるでジャイアンみたいだった。

ハイエナのようにジャイアングループから奪われ、ビニール袋にいっぱいだったクッキーが手元に残ったのは2~3枚。

せめて形だけでも上手に焼けたものを親友にあげたかった。

そう思うと、気持ちがひどく落ち込んだ。

『ごめんね。いくちゃんに少ししかあげられなくて』

…食べなくてもよかったような味だったけど(笑)

それでも、あのジャイアングループがあんな味でもおいしいと言って奪っていったくらいなのだから、悪くないんじゃないか?と、いつしか悲壮感もなくなっていた。

そんな子どもだった。


その後、祖母の家で毎週末作った甲斐もあってか、だいぶおいしく食べられるようになった。

祖母の家のお隣さんのおばあさんにビニール袋にいれてリボンを結んであげた。

そのおばあさんは、涙を浮かべて喜んで食べてくれた。

その後、うちのおばあちゃんを通してお返しに飴を頂いたような気がする。

今思うと、おばあさんは家族から離れた個室の4畳半の部屋からほとんど出ない生活だったから、時々うちのおばあちゃんの腰巾着のごとく一緒に声をかけに行くと、痛く喜んでくれた。

きっと子どもがクッキーをつくって持ってきただけでも、単調で孤独な生活のせいで特別なことに感じられたのかもしれない。

クッキーができる度にそれからは必ず隣のおばあさんへ試食を兼ねて持っていった。

『こんどのはおいしくできたよ』

〈うちの孫はこんなものをくれたこともないよ。ありがとうね。〉

と、たいしておいしくもないクッキーをうれしそうに毎回快く受け取ってくれた。

ワタクシは隣のおばあさんがいつも笑わない人だったので、この時だけちょっと違った表情をすることにとても喜びを感じていたのだ。

時が過ぎ、隣のおばあさんの個室は取り壊され、高校生だった孫が今では主となり、新築の2階建て一軒家に建て替えた。


そしてワタクシも現在そのお隣さんだ。


切ない思い出のひとつだ。


切ないと言えば、小学1年生の時アイちゃんという、色白でちょっとそばかすのある、とてもかわいい女の子で幼稚園から一緒だった。

アイちゃんといると、守ってあげたくなる男の子の気持ちみたいになった。

よそのお家のことにまだ関心も興味のなかった6才のワタクシはこの後起こる、よそのお家と自分の家の違いを知ってしまう出来事をまだ知らない。

土曜日は半日で放課だった時代。

まっすぐに家に帰らないといけないのに、アイちゃんに〈うちくる?〉と誘われて、アイちゃんについて行ってしまった。

この時点で小学1年生はイケないことをしている罪悪感が漂っています。

何も考えていない小学1年生は、初めてお邪魔するお家に家の人が誰もいません。

そう、鍵っ子だったアイちゃん。

慣れた手つきで誰もいない家のドアの鍵をあけて入ります。

〈はいって〉

キレイに片付いていて、知らない家の匂いがした。

〈……。〉フリーズしている自分。

〈誰もないの?〉

〈うん、お母さん仕事だからいつも茶ダンスにおにぎりがあるの〉

〈食べる?〉と、おにぎりのお皿を向ける。

逃げ出したい気分になってきた。〈もう、帰る〉

あまりにも衝撃的なことだったからだ。

かわいいアイちゃんはいつもひとりで鍵をあけて、ひとりお家で待っているのだ。

耐えきれなくなり、走って家まで帰った。

アイちゃんがひとりでさみしく過ごしている姿が脳裏に見えてしまったのだ。

とても大人びたアイちゃんの理由を知ってしまった。

それに比べて自分は何だかんだ言っても、1階の事務所にはママもいるし事務員さんもいる。

2階の廊下階段から庭を見渡せば、現場の社員のおじさんたちがトラックの荷を下ろし、ユンボを水洗いしている。ユンボとは今でいう油圧ショベルのこと。

小学生になった弟はこれをよくいじくっていた。

人の気配のある中で、安心して何の不自由もなく独りの自由時間を過ごしていることを1年生なりに自覚した。


アイちゃんのママはとても美人で優しく幸せを絵にかいたような家庭にしか見えていなかったのに、一人っ子のアイちゃんにはケンカする兄弟もいないうえ、ひとりで過ごす日があることやおにぎりを食べて、夕方まで長い時間をどうやって過ごしているんだろう…

よそのお家と自分の家の違いから、自分という枠を認識した初めての出来事だった。


それから2年生になって、アイちゃんは転校していった。


噂では、その時の同級生のC君と中学生前からつきあっているらしいということだった。

C君はバリバリのヤンキーの総番というやつだ。

同級生たちは〈バリバリヤンキーらしいよ〉と言う。

環境的要素はあっても、あの清楚なかわいいアイちゃんが、ヤンキー?

今もこの目で見ていないせいか、信じられない。

アイちゃんちへ行ったのはそれっきりだった。

学校でもぎくしゃくしてしまい、アイちゃんとどう接していいかわからない。違う環境と家庭という枠組みを意識してしまってから、接触するのがとても怖くなった。

無関心のように見えるこの両親から加護を受けているということが、1年生の時によくわかったのだ。



もうひとり同じクラスに幼稚園から一緒だったヒロコちゃんという4人姉妹の上から2番目でしっかりした女の子と仲がよかった。

母同士が公認ということもあり、ヒロコちゃんはよく遊びにも来たし、遊びにも行った。

妹とうちの弟が同じ年だったこともあり、姉弟一緒に遊んだこともあった。

小学1年生になり自分の部屋を持ったとき、あまりにも整理整頓ができず相談したことがあった。
ヒロコちゃんはしっかりしていて家のお手伝いはよくやっていると言っていたので、洋服のたたみ方を教わった。

ふふふっ、emoticon-0136-giggle.gif普通は母親から教わるところ、同級生からというのは面白い。

ワタクシの服をひざのうえでお母さんのようにたたむ姿は今でも目に焼き付いている。

ある時急に転校が決まり、あっと言う間にヒロコちゃんもいなくなってしまった。

母から隣町のA小学校へ行ったと聞いた。

やっぱり、また小学2年生だった。

高学年の4年生になると自転車解禁となるのをきっかけに、A小学校の近くにあるというヒロコちゃんの家を探し当てて、突然訪ねて行ったことがある。

家におばあちゃんがいて、そろばん塾へ行っていると言われた。期待した通りに感激の再会とはならなかったけど、家はわかったのでまた来ればいいと勝手に思い込んでいた。

それから1週間もたたないうちにヒロコちゃんが自転車に乗って、うちの前の道路に立っていた。

とてもビックリしたけど、感激した。

〈アタシと同じ気持ちなんだ〉と、感じたからだ。


でもなんだかヒロコちゃんの雰囲気がぜんぜん違うぞ…

2年の隔たりで、無口で大人になったヒロコちゃんに戸惑った。

無表情だったけど、わざわざうちを覚えていてくれて来てくれたんだ!

うれしかったけど、言葉をうまく交わすことができずもどかしい時間が過ぎた。

手紙やお菓子をくれて、時間がないといってすぐに自転車に乗って帰っていった。

色々話しをしたかったけれど、思春期ってやつはどうしようもない。


のちにブーヨンとヒロコちゃんが中学で一緒になり、ヒロコちゃんが黒や紫といった派手なファッションを好み…ヤンキー風になったとブーヨンの手紙で知った。

ヤンキー風でもとてもお勉強はよくできていたので、地元では一番偏差値の高い高校へ進学していた。

あのときの自転車にまたがったヒロコちゃんが、今も変わらず自分の中にいる。




高学年になり、親友のブーヨンとは離れ離れになり交換日記と2月14日のチョコ交換が卒業するまで続いた。

それでも同じクラスにもうひとりの親友ができた。

学校イチ背の高いイズミちゃん。

よくイズミちゃんのことをKとススムとからかっていたネタは〈ハナクソふぶき〉…なんだそれ?

給食のときだったか、イズミちゃんの鼻からハナクソがふっと出た瞬間にこの3人が居合わせたことが、このネーミングになったのだ。

小学生らしいでしょう(笑)

イズミちゃんの背丈はもう出来上っていて167㎝ちかくあった。ワタクシも160㎝以上あり、イズミちゃんの次だった。背の順がご縁で友達になった。

ある朝の自習でイズミちゃんが先生に呼ばれ、身長と似つかわしくない肩をすぼめて席についた。

〈どうしたの?〉〈うん…〉

〈何があったの?〉〈あとで話すよ〉

〈今言ってよ!〉〈うちのお姉ちゃんたちと母が違うんだって〉

〈…え?!何、どういう意味?〉〈だから、私だけ腹違いなんだって!〉

〈…!?〉

すぐに意味がわからず、混乱した。

今聞く話じゃなかった…

いつもより長く感じた授業だった。

休み時間を待って、イズミちゃんから話を聞いた。

最後は放っておいてと言われた気がする。

確かに、イズミちゃんとお母さんはスラッとした体系も顔もそっくりだけど、お姉ちゃんとお兄ちゃんは小柄で顔も似ていない。

自分だけ違うということがとても落ち込ませたようだった。

ハナクソふぶきのイズミちゃんがそれから急激に大人になっていった。

もう、小学生のくだらないネタであまり笑わなくなっていた。

Kもススムも心配して色々聞いてきたけど、自分の口からはうまく言えなかった。

それからイズミちゃんちへ何度も遊びに行ったけれど、姉兄に合う機会は何故かなかった。

中学、高校とイズミちゃんはかなり荒れたという。

20の時にイズミちゃんと夕飯を約束したことがあったが、1時間経っても約束した場所へこなかった。

連絡したら〈普通、1時間待つバカいる?(笑)〉

絶句した。

もう、ワタクシの知っているイズミちゃんはどこにもいなくなっていた。

あのときにしつこく聞いた子どもだった愚かな自分を悔いた。

ハタチになった今頃、ブーメランとなって返ってきたのかもしれないと心底思った。






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by fairytalem | 2013-10-01 19:23 | つぶやき | Comments(0)