若き日の記憶の旅3~自立編~

こんにちは、Fairytaleです001.gif

若き日の記憶の旅3~自立編~です。


2階のフロアーはデザイン系で独立したような組織だったのですが、グラフィックデザイナー女子の先輩はニコニコしていつもおしゃれで、関連企業の上役のお嬢様。

上司たちからも当然可愛がられていました。

しかし、上司たちはその先輩の裏の顔を知りません。

イヤミな常務は、同じ1階フロアー席のワタクシをターゲットに信じられない罵詈雑言を浴びせてきました。『君の弟さんは、あまり頭のよろしくない○○高校だったよね?』 とか、『なぜ、○○金物でバイトをしているのだね?家が大変なのかね?』 とか。

ワタクシには何も響いてこないネタで揺さぶりをかけてくる。
ジョウム…アナタの品性なしの会話は哀しいくらい頭のワルさを浮き彫りにするから、自分のためにやめた方がいい…。と思っていました。

後のこの常務のゆく末は無残なものでした。

10年後この企業は解体されグループ会社を1社にまとめ、当然役員は3/4いらなくなります。

社長からも気に入られていないことと人望もないことで、出向先は関連企業の〈飲食店〉の店長。

まだ落ちがある。

この飲食店は市内ではまぁまぁの老舗のてんぷら屋で実家ではここを常連で利用していた。

家族の週末の食事はここ。当然、ワタクシもワタクシのパートナーもイベント・デザインのこの会社で出逢って結婚したので常務をよ~く存じ上げている。

まだ新婚間もないパートナーは、父からの高圧的なお誘いをはねのける手段を知らない。

ブルーな気分になるワタクシとパートナー。
そして未婚だった弟と両親で食事。

弟には例の会話を昔、話してしまっていたことをとても後悔した。

〈あいつに散々いじめられたんだろ。やりかえしてやれよ。〉 という弟。

関わりたくないので顔をあげられない自分。

ここでは書けないようなことを弟はやってくれた…

まったく爽快な気分になれなかった、ということだけ付け加える。


話は戻って…

誰にでもそんなふうなので全員から、もれなく嫌われていました。

おしゃれな先輩も当然でしたから、陰ではゴミや虫を入れて毒物ではないギリギリのほうじ茶を入れた常務の湯飲みを差し出す役を押しつけてきました。

きっぱり断ったのでどうするか見ていると、自分で頼まれもしないのにお茶を入れて素知らぬ顔で何を出汁にしたのかわからないものを出していました。

あぁ、コワい。そして、くだらない。

人に嫌われるとはこういうことか…
本人は微塵も感じることなく、現実とはリアルに反映されるもの。
実際の問題は悪そうな常務ではなく、そうするご本人の問題。



職場では仕入れ管理の経理事務でしたので、毎月締め日は残業です。

のび太くんに似た会計士経験のある先輩に手伝ってもらい半年はなんとか乗り切りました。

そのうち先のび太くんは営業部へ移り、ひとりで締め切りを仕切らなければなりません。

親の勧め(強制)で入社したため気難しい社長なのですが、ワタクシには目をかけてくれたことがとても面倒でした。若く尖っていたこともあり、放っておいてほしいオーラ全開でしたし、何よりも社長に気に入られていない直属上司はそれをエサに誰の目からみてもわかるほどワタクシを嫌っておりました。

サイドBの先輩はそれを知って、何度もロッカーで会うとわら人形で復讐を提案してきました。

やるか!そんなこと。


仕事がもらえないので、暇で時間をどうつぶすのかが日課でした。

助け舟という、そう簡単に差し出してくれる奇特な行為なんてないことも、それまでの少ない経験で学習していましたので期待なぞしておりません。

ペーペーとは今思うと気楽なもの。

天真爛漫なワタクシは凹むことなく、デザインデスクや現場の作業場に行ったりしてそれなりにたのしく油をうっていました。達筆なKさんの筆さばきは達人技。見たこともないすばらしい看板の文字で定評だったし、イベントものを請け負う業務部門もあり、そこはおもしろいものに囲まれた現実と違った別世界でした。
いい息抜きにしかならず、いじめ甲斐のないワタクシにさぞかし地団太を踏んだことでしょう。

何をやっていたんだ?!と怒られてもへいちゃらです。

人にはこういう特技があると生きやすいもの。

何か言われるのを恐れているタイプではないので、少しでもたのしいところに身を置ければハッピーでした。

社内の人間とコミュニケーションを深め、つまらない職場にも気づけばそれなりに自分の居場所をみつけていました。


経理の仕事は、電卓を見ずに5本の指で縦計ができるようになり、汚文字と言われたペン字も営業課長から『N君(上司)の文字に似てきたね』 と褒められたのですが、上司が横で憤慨しておりました光景は忘れません(笑)
イベント事業部門からあて名書きも時々頼まれるくらいの文字も、それなりに書けるようになり、気づけば他部署から色々なことを頼まれては喜んで引き受けていました。

横目で上司は〈うちの女子を勝手に使わないでくれない?〉とスネています。

仕入れと売上で先輩女子と自分で業務を折半していましたが、バブルがはじける頃だった追い風もまだ残っていた時代で仕事量は多く、仕入れ担当の仕事は、出入り業者さんの顔と名前と請求書の書き方のくせと材料を見分けられるまで時間がかかりました。
なんでも屋の業種であったこともあり、仕入帳に記入する際の項目分けを判断するため業務部長と仲良しにならないといけません。

バイト経験すら片手もないワタクシには、コミュニケーションにとても苦手意識があり、人見知りも激しかった幼少時代をそのままひきずっていたシャイな性格。仕事になっても慣れないまま恥ずかしいという毎日で、身の置き所が落ち着きませんでした。
社内では無駄口もききません。きけません。
それゆえ、入社時はおとなしいと思われたようでした。

その頃には、ニガテな上司からの厳しい視線も緩和しかけてきたので、なんとかやっていけたのでしょう。
そんな上司も締め日は残業になってしまう自分に遅くまでつきあってくれました。

といっても、ただ席に座っているだけです。

それだけで、充分だという気持ちでした。

『もうすぐ終わりますので、どうぞお先にお帰り下さい』 …(ぜんぜん終わらない量だけど)

『えっ、そう?』 といってデートをすっぽかさないで済んだことに安堵し、いそいそと帰っていったことも、それまでの態度と明らかに違う人間に変わっていました。



いつも優しく寡黙な〈専務ちゃん〉…影では愛を込めてそう呼んでいました。

当時奥様をご病気で亡くされ、とても寂しくされていたご様子に女子全員から労りの気持ちで見られていました。専務ちゃんが〈じゃがいもの味噌汁が飲みたいな〉 とタバコに火をつけながらつぶやく姿を何度となく記憶にあります。
それくらいのことならつくってあげたいと思っていましたが、横に並ぶ常務の尋常じゃない反応を考えると出来ませんでした。
専務ちゃんにはそれから2年もたたないうちに若い奥様と再婚され、幸せそうに奥様のお写真をワタクシに見せてくれました。


ある時、専務から社長室へワタクシは呼ばれ…??

〈○○さんに僕の仕事の一部を頼むよ〉 と言われ、とても嬉しかったことがありました。

そうです…仕事ができる上司や売上担当経理の先輩女子からは、随分にらまれたこと。

今から思うと、仕事ができるかどうかということ以上に信頼できるかどうかというもっと特別なことを受け渡してくださったのです。

社員の給料明細を見ることができたのは、専務ちゃんとワタクシだけでした。

お給料日は振込でしたが、ボーナスは普段いない社長(他にいくつもの事業を兼任していた)が手渡しするという社員がゲンナリする昭和真っ青のめんどくさい儀式がありました。

その明細は専務ちゃんの手描きで、しかも査定によりボーナス率がはっきりとわかりました。
ワタクシは最高の評価を専務ちゃんからいただいていました。他のエラそうにしている社員の査定もしっかりと拝見させていただきました。
真実を見る権利を堂々と手にした瞬間は、なんとも形容しがたい〈ご褒美〉にもとれました。


入社から3年目になる頃でした。


3年後の入社日に『お話しがあります』 と、直属の上司に何度も夢にまでみた場面を迎えました。

これは辞めたいと必死になって親にお願いしても聞き入れてもらえなかった時に『3年は我慢しろ』 と極刑がおりた為、本当に我慢してしまったクソ真面目な自分はその日を指より数えて過ごしたものでした。

想像したことは実現できるのです!

ものすごーく強くその場面がスクリーンに映るくらいに想像できたことで、実現しなかったことは1度もありません。

言い換えればそれくらい切願しないと実現化しないともいいます。

空気から退職を察知した上司は、もはや自分にとって〈嫌いな〉という形容詞はなくなり、3年の月日は心の持ち方でいかようにも変わるということがわかりました。

上司は、入社してきた《新人類》を理解できず、CR-Xだからヤンキーではないか?と疑っていたそうです。

早く辞めてもらいたくてイビったことも上司の口から出たことは、懺悔までいかなくともプライドの高い当の本人はそれが精一杯の態度であったとわかります。

『私は入社した時から自分の意思でここへ来たわけではなかった上、まったく自分に向かない仕事についてしまいました。どこへ行っても社会に出たばかりなので向いていようが向いていなかろうが仕事のデキは同じようなものとわかっていました。ここで3年間お世話になると決めた今日がその3年目なんです。』

とてもびっくりした表情を浮かべた上司は『残念だね…』 と今までに聞いたことのないやさしい声で言いました。
一人前になったこと、どこへいってもはずかしくない社会人になったこと、いい子になったね…と10歳ほど年上のまだ若いその上司も、実は私に似ていて親からの差し金で自分の意思を持つことを許されなかった同じ穴のムジナであったと理解しました。


その後は、自由を謳歌し…といいたいところですが、ここからが本番です。

しかし、無駄であろうこの経理経験は後に小さな自信となり、自分の力を信頼できるきっかけとなりました。

やりたくないけど、仕事できないから我慢してOLやっていました…と端からはそう見えていたことでしょう。

しかしどうです?

得られそうもないことがたくさん起こりました。

専務ちゃんの信頼と頑なだった上司が変わり、ちょっと居心地が良くなり離れがたくなるなんてことは想像もできませんでした。

現状の未熟な自分を受け入れ、やれることを見つけて、嫌がる仕事を率先し自分の仕事としていたことで、つらいイヤなことはひとつもありません。

寧ろ、いいことしか起こりませんでした。

掃除を無心にしていると、とても気分が良くなり、穏やかな気持ちになったのです。

その場を整えることで、居心地も良くなり、心も落ち着くこと、そして神仏の入り口のお掃除を毎日することで何となく神様から見られていることを感じるようになり、自らを律するようになっていった気がします。

ろくにバイト経験もない、社会人として目も当てられなかった小娘に、この企業は随分と手をかけてくれました。マナーセミナーなど外部指導の人材育成機関へ通わせてくれましたし、一向に辞める気配もないので上司も諦めたのかいつしか仕事を教えてくれるようになり、おとなしいだけのワタクシではなくなっていきました。
最後まで、上司とはプライベートな会話はありませんでしたが、独り暮らしをするようになったワタクシをうらやましそうに見ているのは気がついていました。

周囲が変わったというより自分が変わっていったのです。

いざ!コーディネーター養成学校へ~

23の春でした。




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by fairytalem | 2013-08-31 13:30 | つぶやき

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