記憶の旅

こんにちは、Fairytaleですemoticon-0135-makeup.gif


引き続き、若き日のワタクシの記憶の旅ですemoticon-0133-wait.gif

結婚後20代後半のアラサーにさしかかった頃、ワタクシの左眼は眼底出血のため視力がなくなりました。

いえ、視力はあるのですが黒目に出血してそのまま塊になって影となり、見ようとするものが見えない状態で視野だけは利きます。

当時はそんなに落ち込むヒマを作らずに、見えなくなった直後に建築業界へ飛び込みました。

もちろん、家族は反対です。

その時の心境は『なんでもやってやろう』でした。


それまで広告関係のOL~実家の家業を一瞬継ぎ?~キッチン設計の仕事をしていましたが、本気で建築士になると決めたのはこの片目が見えなくなってからのことです。

片目が見えないからできないことはないという確信をもって、結婚もしたばかりで建築の夜学へ2年間通いました。

まだまだ貧乏学生時代で、設計関係の精密道具類は本当に高額でやっとの思いで購入していましたし、なにより学費が公立なので安かったことは大変ありがたかったです。



こうした傍目からは足りない要素をもってして、初めて〈やっぱりやってみたい〉という気持ちが全面にはっきりと姿を出してきたのです。


〈なんでもやってみたい〉は、ものすごいエネルギーに転化されコーディネーター→夜学→マラソン→勉強…というスケジュール。夜9時半に帰宅しマラソンの準備をして、友人と夜明るい交差点で待ち合わせして、公園周りをかなり早く1時間近く走りそのまま別れて帰宅。そして夕食をとり、試験勉強です。とても充実したアラサー学生生活でした。ちゃんと学割もきいて映画や美術館などの鑑賞券は学生価格で入場できフル活用もしていました。

若かったので、エネルギーも内側から溢れ出るという感じでしょうか。

また新たにやれる!という喜びでいっぱいでした。


周囲の雑音はとどきません。

自分の可能性というものにかけてみたいと思えたのです。


2年間の夜学では帰宅してから寝るまでの学習が一番の成果だったようでした。

苦手意識のある教科をとにかくやりました。構造力学では後半は泣きました。

周囲の学生はほとんどが仕事を持っていながら夜学に通っていました。
鉄工所を継ぐ息子、設計事務所勤務、カーテン屋の営業、測量士、…皆、建築士資格を仕事で必要に迫られ習得する目的意識をしっかり持っていましたから、全員卒業、5人合格しました。もちろんワタクシもその5人のひとりです。

好きだった科目は、実地試験もので(笑)コンクリートを固めて強度を測る測定器が県内で最新機が導入されていたので、おもしろかったです。

測量も感覚的なことなので、得意でした。
よく組みになって測量したのは一番年長の40代のおじさんでした(今はワタクシの方が年上)。現役の測量士だったので、使うことはないだろうコツを伝授してくれたりしました。筋がいいと(笑)

製図では階段の踏み面と蹴り込み板の蹴上げのいい数値を探すのも(建築基準法では住宅では蹴上げは230以下、踏み面は150以上と定められているが実際は急過ぎ。階高が2900くらいとしても15段で登るとすると190~193。屋外の階段では180くらいがのぼりやすい)好きでした。

宮大工経験のあるの担任講師に細かいことばかり聞きに行って、マニアックな生徒というイメージを持たれていたようです。


独習からの夜学の現役教師陣(中堅建築会社経営者で建築家、ハウスメーカー1級建築士、宮大工の先生方々)から直に学べる有意義なアラサー学生兼コーディネーター時代を送りました。

この頃は人生で最も忙しく自由時間などまったくありませんでした。

月曜~土曜まで夜学、水曜休みの職場でしたので、まる1日とお休みは2年間ありませんでした。

そして、当然家事もしっかりありました。

この頃は仕事にのめり込んでいましたので、のちに生まれるムスメはとんでもない家を選んできたものだと感心します。

午前中に事務所とショールームの掃除をして、ショールームへ依頼のあった水回りの見積りとCAD図面を作成し、日報まで書き終えてしまいます。午後から建築の勉強です。

所長は仕事をきっちりやってさえいればOKという人だったので、公認でテスト勉強もはばからずやっていました。本当に午前中しか仕事をしていなかったのですが、成約率と見積件数は関東圏内で1~2番をマークしていました。

前橋でも辺鄙な立地条件の所属先でしたが、優位な青山ショールームより成績はよかったのです。


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なぜ成約率はよかったのか…

すでにお施主様は競合他社の見積書を大抵はとっているので、同じ機能にプラスして安ければ決める方、思い通りの内容にして現実的予算を少し出る程度にすれば決める方もいます。

その方の心を読むことができれば成約まである程度の確率でもっていけますが、意外と決定権はお施主様にはないことも多く、施工業者(ハウスメーカー)か建築士かあるいは資材屋だったりしますから、それを判断し営業マンと連携しないと難しいのです。

ワタクシはそういう感だけは発達していたらしく、ド田舎でも成約率が高いことで東京支店長から無理やり月1回青山まで出張コーディネーター向け講習会までやらされました。


キッチンのフルオーダーで1000万円を超える受注もあった時代です…コワいですねぇ~

当時でさえワタクシには無駄だ…と思える、オプション仕様をつけまくり、焼き付け鏡面加工(車のボディーと同じ加工ね)の扉材の無意味さには呆れるばかり。


もう時代はバブルもはじけた後でした。

そういった無駄な高級であればいいというものを求めてやってくるお客様とのお仕事には、魅力を感じることがなく、そう長く携わることはなかったのは言うまでもありません。




当時、副社長の右腕である人事部のMさんという優秀な50代の女性がよく前橋まで定期的に訪問があり、親しくさせていただいていました。

全国の採用はMさんの一任で決まるほどの権力も持っていた人で、親子ほどの年齢差がありながらも気も合い、退職後も文通をしばらく交わす間柄でした。

ご家族、ご本人も華麗なる経歴であり、温和なお人柄と頭脳明晰がかわれ昇進されたのはうかがえます。

ワタクシの採用試験の面接官でもあり、当時採用した理由を聞いたことがありました。

『あなたなら夜学を貫いて目的を果たすと思ったから、コーディネーターとしても成績も出せると判断したのよ』

『夜学に通いながら正規雇用を望むなんて無理と言われるところですが…』

『たくさんの人を見てきたからわかるのよ。目的意識が高いから一定レベル以上の成果はあげられるものよ。』 と微笑んで話してくださったことは、昨日のように思い出せます。

『あなたにはプロ意識がすでにあるわ』と念仏のように言われ続けました。

あぁ、この人の信頼は裏切れない…きっとワタクシはコントロールをすでに受けていたのかもしれませんね(笑)

今頃、Mさんはお元気でいらっしゃるのでしょうか。




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by fairytalem | 2013-08-18 18:55 | つぶやき | Comments(0)

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