眼鏡屋さんの話
2013年 03月 18日
こんにちは、Fairytaleです
土曜日は渋谷の乗り入れで東横線は混雑していました。
静かな自由が丘が若者で混雑し、夕刻の回転寿司屋さん3軒、列ができていました。
電車移動は慣れていない[:子供:]は緊張気味で、電車とホームのスキマにビビりながら飛び乗っていました。
自分でチケットを責任もってポケットに入れておくことすら拒絶してきましたが『自己責任とれないなら眼鏡屋さん行けないね』と突き放す母。
ランチのあと、目の前の東京タワーまで上り坂をスーツケースの荷物をかわりに持ってくれると頑張ってくれました。
あれは親切だったのか、面白そうだと思ったからだったのかはわかりません(笑)
修学旅行の中学生の団体やハトバスもたくさん停まっていました。
展望台までは予約時間の制約上あきらめてもらい、代わりに小さな水族館があったので行くことに[:魚:]
お友達のおみやげを約束したからと選んで、自分には買わないでいたので 『あぁ、ワタクシの子ども時代とそっくり』 と思いました。
ちょうどお箸のサイズももう少し長くしたいところだったので、お箸の他に好きなもの1つ選びなさいと促してやりました。
子どもらしいこどもなんですけどね…遠慮とか教えないことなのに気にしてしまうんですね。(ま、それくらいでちょうどいいというもの)
自由が丘の眼鏡屋さんは、日本一だと思っている検眼技術のプロ中のプロフェッショナルな調整技術と知識と研ぎ澄まされた感のオーナー。
しかし入店すると、銀屋さんに似ている若い30代後半~40代前半の男性が出迎えてくれました。
一瞬『銀屋さん?』と錯覚したほど似ている男性。
そのまま二人で検眼していただき、12年間のカルテを把握しているその男性としばしムスメの弱視の経過を話しました。
ワタクシの左眼もちょっと難儀なこともあり、そのへんの特殊な話しで前のめりになりながら話しこみました。
そのうち銀屋さんと話しているとすっかり感違いしてしまい、『銀屋さん、オーナーは?』 と帰り間際まで聞きそびれていたほど。
もう2年もお店に出ていないという話しでした。
検眼の話しになるともう真剣に早口でマニアックな情報を教えてくださった、ちょっと変わり者でオシャレなあの銀屋さん…
好き嫌いがはっきりしていて、嫌いなお客には端からわかるほど冷たく『もうこないで~』とオーラ全開にしちゃうとこや、マニアックなワタクシみたいなメンドクサイ仕事をしないと日常生活がままならないようなお客にとことん付き合ってくれるとこや、プライベートは微塵も感じさせない謎なとこ、もしかして銀屋さんはお○え?、眼鏡はお客が選ぶのではなく、銀屋さんが顔や体型、眼の位置、雰囲気からチョイスしてくれるというスタイル…これがまた間違いない!
入店からずっと凝視してすでに眼鏡選びが始まっているといった姿が懐かしい。
しばらく、忙しいからと眼鏡にも気を使わずに3年あいてしまった。
あの銀屋さんが人任せになんかしない仕事を一手にあの男性が引き受けているということの意味を、一瞬でわかってしまった。
『銀屋さんはあなたに絶大な信頼をおいているんですね。でなければ、お店たたんでますよね。今日の検眼のお仕事で腕前がよくわかりましたよ。』
あちらもムムムっという表情で返してきた(笑)
弱視に関してもその男性は、元有名病院の眼科技師だったそうで1人10分枠で診察しなければならず、検眼も慎重に測る時間がない環境に嫌気がさしたのでしょう、彼は銀屋さんのスタイルや技術、人生観にほれ込んで他の大きな眼鏡屋の幹部を辞めてこちらへ入ったと同時に倒れたそうです。
銀屋さんちが健在で今までと同じように対応していることが、すごいと思いました。
しかも銀屋さんバリの腕前で、おごることなく丁寧な仕事でした。
血縁者でもなく他人なのに、かぶるキャラ…彼はそれがすごく嬉しいと 『一滴も血は繋がってない』 と笑顔で話していました。
弱視トレーニングのオリジナルの文字拾い(ランダム文字から指定文字を極細赤ペンで丸で囲むと大好きなコミックキャラが浮き上がってくるという視神経刺激型訓練用紙)をムスメが男性に差し出した。
彼は弱視や特殊眼の会のメンバーでとても強い関心があったのだ。
その訓練用紙には網目のグリッドの中に読めるか読めないかの小さな文字が数万文字ある。
丸つけする数は2000~2500文字あり、それを2枚やるとムスメの場合40分。
彼は目が輝いて 『感動しました』 と何度も言っていました。
数枚話のネタにおいていきました。
土曜日、その男性がいてくれたおかげでまた、ムスメは助かったようなもの。
検眼してみるとかなり強く矯正された処方だったので、やっぱり来て良かったと思いました。
右4つ左3つもレンズの段階が違ったものをあてがっているのが弱視外来の病院の実情です。
何故かって、強くして無理やり見せることで見えないよりましだろうという、考えからどの眼科でもその傾向が100%といっていいでしょう。
ワタクシとその男性の感覚的考えは同じだったのですが、『いい状態で眼に負担のない見え方で何度もレンズを作り替えながら、半年ごとに検眼してフィットするよう調整すべき』 という見解です。
ムスメの弱視に関しては、妥協する気はないので、独自の主観考えではありますがそれに強く同意してくれるプロが目の前に座っていることが、何よりも安堵しうれしく思いました。
こういう時は深い充足感を感じます。
この世の出逢いではなかなか思い通りにはいかないもの。
その中で折り合って、自分の考えや行動を変えながら生きる場所。
ときどき、こんなことがあると『やっぱり天は見てくれているんだ』 と思えるのだ。
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土曜日は渋谷の乗り入れで東横線は混雑していました。
静かな自由が丘が若者で混雑し、夕刻の回転寿司屋さん3軒、列ができていました。
電車移動は慣れていない[:子供:]は緊張気味で、電車とホームのスキマにビビりながら飛び乗っていました。
自分でチケットを責任もってポケットに入れておくことすら拒絶してきましたが『自己責任とれないなら眼鏡屋さん行けないね』と突き放す母。
ランチのあと、目の前の東京タワーまで上り坂をスーツケースの荷物をかわりに持ってくれると頑張ってくれました。
あれは親切だったのか、面白そうだと思ったからだったのかはわかりません(笑)
修学旅行の中学生の団体やハトバスもたくさん停まっていました。
展望台までは予約時間の制約上あきらめてもらい、代わりに小さな水族館があったので行くことに[:魚:]
お友達のおみやげを約束したからと選んで、自分には買わないでいたので 『あぁ、ワタクシの子ども時代とそっくり』 と思いました。
ちょうどお箸のサイズももう少し長くしたいところだったので、お箸の他に好きなもの1つ選びなさいと促してやりました。
子どもらしいこどもなんですけどね…遠慮とか教えないことなのに気にしてしまうんですね。(ま、それくらいでちょうどいいというもの)
自由が丘の眼鏡屋さんは、日本一だと思っている検眼技術のプロ中のプロフェッショナルな調整技術と知識と研ぎ澄まされた感のオーナー。
しかし入店すると、銀屋さんに似ている若い30代後半~40代前半の男性が出迎えてくれました。
一瞬『銀屋さん?』と錯覚したほど似ている男性。
そのまま二人で検眼していただき、12年間のカルテを把握しているその男性としばしムスメの弱視の経過を話しました。
ワタクシの左眼もちょっと難儀なこともあり、そのへんの特殊な話しで前のめりになりながら話しこみました。
そのうち銀屋さんと話しているとすっかり感違いしてしまい、『銀屋さん、オーナーは?』 と帰り間際まで聞きそびれていたほど。
もう2年もお店に出ていないという話しでした。
検眼の話しになるともう真剣に早口でマニアックな情報を教えてくださった、ちょっと変わり者でオシャレなあの銀屋さん…
好き嫌いがはっきりしていて、嫌いなお客には端からわかるほど冷たく『もうこないで~』とオーラ全開にしちゃうとこや、マニアックなワタクシみたいなメンドクサイ仕事をしないと日常生活がままならないようなお客にとことん付き合ってくれるとこや、プライベートは微塵も感じさせない謎なとこ、もしかして銀屋さんはお○え?、眼鏡はお客が選ぶのではなく、銀屋さんが顔や体型、眼の位置、雰囲気からチョイスしてくれるというスタイル…これがまた間違いない!
入店からずっと凝視してすでに眼鏡選びが始まっているといった姿が懐かしい。
しばらく、忙しいからと眼鏡にも気を使わずに3年あいてしまった。
あの銀屋さんが人任せになんかしない仕事を一手にあの男性が引き受けているということの意味を、一瞬でわかってしまった。
『銀屋さんはあなたに絶大な信頼をおいているんですね。でなければ、お店たたんでますよね。今日の検眼のお仕事で腕前がよくわかりましたよ。』
あちらもムムムっという表情で返してきた(笑)
弱視に関してもその男性は、元有名病院の眼科技師だったそうで1人10分枠で診察しなければならず、検眼も慎重に測る時間がない環境に嫌気がさしたのでしょう、彼は銀屋さんのスタイルや技術、人生観にほれ込んで他の大きな眼鏡屋の幹部を辞めてこちらへ入ったと同時に倒れたそうです。
銀屋さんちが健在で今までと同じように対応していることが、すごいと思いました。
しかも銀屋さんバリの腕前で、おごることなく丁寧な仕事でした。
血縁者でもなく他人なのに、かぶるキャラ…彼はそれがすごく嬉しいと 『一滴も血は繋がってない』 と笑顔で話していました。
弱視トレーニングのオリジナルの文字拾い(ランダム文字から指定文字を極細赤ペンで丸で囲むと大好きなコミックキャラが浮き上がってくるという視神経刺激型訓練用紙)をムスメが男性に差し出した。
彼は弱視や特殊眼の会のメンバーでとても強い関心があったのだ。
その訓練用紙には網目のグリッドの中に読めるか読めないかの小さな文字が数万文字ある。
丸つけする数は2000~2500文字あり、それを2枚やるとムスメの場合40分。
彼は目が輝いて 『感動しました』 と何度も言っていました。
数枚話のネタにおいていきました。
土曜日、その男性がいてくれたおかげでまた、ムスメは助かったようなもの。
検眼してみるとかなり強く矯正された処方だったので、やっぱり来て良かったと思いました。
右4つ左3つもレンズの段階が違ったものをあてがっているのが弱視外来の病院の実情です。
何故かって、強くして無理やり見せることで見えないよりましだろうという、考えからどの眼科でもその傾向が100%といっていいでしょう。
ワタクシとその男性の感覚的考えは同じだったのですが、『いい状態で眼に負担のない見え方で何度もレンズを作り替えながら、半年ごとに検眼してフィットするよう調整すべき』 という見解です。
ムスメの弱視に関しては、妥協する気はないので、独自の主観考えではありますがそれに強く同意してくれるプロが目の前に座っていることが、何よりも安堵しうれしく思いました。
こういう時は深い充足感を感じます。
この世の出逢いではなかなか思い通りにはいかないもの。
その中で折り合って、自分の考えや行動を変えながら生きる場所。
ときどき、こんなことがあると『やっぱり天は見てくれているんだ』 と思えるのだ。
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by fairytalem
| 2013-03-18 17:11
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