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弱視

こんばんは、Fairytaleです^^

今夜は、とても静かな夜ですね。

昨日、今日とアトリエでカルトナージュのレッスンがあり、無事に終了しました。

最近、こちらのブログともうひとつのメインブログの両方の参加しているランキングが、急上昇して戸惑いを覚えています。
マイペースにやっていだだけなので、不思議で仕方ないです。

ブログだから、普段話せないコアなこともサラッと書けてしまうのがストレス発散となり、ワタクシは結構気に入って更新をしています。

何人かの方々から、ムスメの眼のトレーニングのことで励ましのメールを頂きました。。どうもありがとうございました(__)


実際は毎日の生活の中で息をするように眼のトレーニングをする、というのを目指していました。
特別なこと、大変なこと、と意味づけすることは彼女にとって試練となります。

だから、眼のトレーニングの意味を深く理解できない年齢だったムスメに【当たり前】の日課としてやることは、たのしいことに繋がらないと継続していくことは困難になります。

そういう時期もありましたが、思ったよりムスメは今から振り返ってみるとちゃんと理解していたんですね。時々、幼稚園の頃はぐずを言ってやらないよう逃げたり、疲れて寝てしまうこともじばしば。それを他人は、可哀想にと休ませたり、今日はやらないという既成事実となるようなことを無責任に提案します。

それで、誰が喜びますか?
可哀想と言っているいかにも心配している優しい人が一番、ひどいことをしているのです。

そのことで、当時私達はかなり苦しみました。
人とムスメのことをシェアしようなぞと、淡い期待を持とうものなら、かえって無理解から生じるストレスに悩まされるのが落ちですから、世間と隔離した生活をずっとしてきたようなものです。

たった1日休んでしまったことを憶えたムスメは、また休みたくなります…当然ですよね。
ムスメの視力が上がるタイムリミットは6歳(発覚当時あと1年)までと言われ、まず無理だとはっきり眼科医の先生から言われました。4時間も毎日椅子に座って細かい文字を拾ったり、迷路やパズルをやれるわけがないという至極当たり前な見解を言い渡されました。

15年前に発覚した知人の弱視のお嬢さんは、手遅れと言われた9歳か10歳に黒板がよく見えないことから片目が機能していないことが判明し、今現在は視力が落ちる一方でひとりで外出できなくなったそうです。残念ながらいずれ失明するでしょう。当時の知識レベルでは、今以上にまったくといっていいほど解明されていなかったそうです。

ムスメは、それでも運よく5歳のときジャングルジムから落ちてきたお友達の靴のかかとが左目に直撃し、眼底出血のケガで近所の眼科医に保育園で連れていってもらいケガしていない方の右目が見えていないと判明しました。

奇跡のケガでした。

真っ赤に出血した白目のおかげで、落ちてきたお友達のおかげで、園長先生のおかげで、偏屈医と言われた眼科医の先生のおかげでムスメの弱視が発覚したのです。

『ムスメさんの眼のことで大事な話があるそうです』と園から電話を受けた時は、『ムスメの一大事が起きた』とワタクシの直感が走り、運転する手はぶるぶる震えて、歯もがちがち音を出したのをハッキリと記憶している。

『無理だろう』『何故大変か意味を知るだろう』『失明する』という言葉だけがこだました。

その晩からパパと向き合って嘆く間もなく、ムスメのタイムリミットまでに何をするか?
そのことだけに集中して、その晩にネットで集めた有効なことをさがした。
まず私が、文字拾いをさせる前におもしろそうなキャラクターの絵を小さくしたものをランダムに散りばめて『ティンカーベルをさがして』と題した遊び感覚のトレーニングカラー紙をプリントしまくった。

すぐに飽きてしまうことは見積済みで、発覚した日の晩から1週間夜な夜なキャラクターたちの用紙を作った。もの凄い勢いで、毎日毎日つくった。

そして、素人のワタクシは1週間目に、ダウンした。

同時にムスメも熱を出してダウンした。

ちゃんとこの子は受け取ってくれていると、隣で確信した。

見かねたパパが、仕事をセーブしながらもっと効果的なものを提案していった。
グラフィックデザインからウェブデザインへ移行したプロの仕事っぷりだ。
細かい升目に、読める文字を散りばめて指定した文字を赤ペンで塗りつぶすと、ミッキーが出てくる絵から、時間の経過と共に、複雑な絵に彼女の成長に合わせたものを時間を作っては、1枚2時間かかるものそれ以上手間のかかるものを、ムスメは10分、遅くても15分で解いてしまう。

去年の夏頃、パパとケンカしてムスメのトレーニング用紙1枚2000文字をマジでやらされたことがあった。

本気のワタクシは25分かかったのだ。

ムスメの15分は驚異としかいいようがない。

まさに、トレーニングだ。ぐうの音も出ない。(ムスメはほこらしそう)

遊びたい盛りの5歳の発覚時、幼稚園へ切り替えて2時のお迎えの後、容赦なくトレーニング開始し、6時までみっちり頑張ったムスメ。
お昼寝の習慣はその日からなかったことにしてもらった。

とにかく、ワタクシは鬼となったのだ。
嫌われてもいいと自分自身で確認し、遂行した。

唯一の逃げ場はパパにとっておくといった配慮は当然である。


最初の3ヶ月後に、視力なしから0.7まで視力が出た時は、群大の眼科助教授は、すごいとムスメを褒めてくださったのにワタクシが不覚なことに泣いてしまったことは今でも忘れられない。

もちろん、眼鏡をかけた状態での視力である。

3才までに弱視が発覚しない場合は、経過年齢に比例して困難な条件となる。

中には信じられないのだが、弱視のお子さんをコントロールするのが難しいことを理由に、トレーニングをあまりさせずに、DSやTVゲームにまかせっきりの親御さんがいるそうです。大多数ではないだろうか?
眼科医は半分、致仕方ないと思っている様子だった。

ワタクシは納得いかなったので、できる限りのことは情報も把握し、手間もかけるつもりでいたので周りがどうであろうとそこには関心がなかったのだか、研修医から耳にしたのだが(教授や担当医とじっくり話す時間なぞないのだ、ひとり精々2分もあればいいほうだ)DSを中心にやっている弱視トレーニングでは、当然脳への刺激は慣れとなり視神経に働きかける力はやらないよりましといった状況で、4ヶ月で0.8→0.9に上がればいいといったペースなのだそうだ。

私たちは、デメリットを削除するためゲームので画面は眼の疲労と相殺すると効果が半分になるというデータや実際に眼科の研修医でさえ知っている情報だったので、一切ゲームはさせなかった。
そういえば持っていたDSは母にあげたままだ。

ムスメには、そんな悠長にDSをする時間はないのだ。

最初の訓練の文字拾いは、新聞の文字の『た。』を赤のボールペンでマルつけするのに1週間ももたなかった。
それは、意味のないことを『必要だから』といわれて渋々やらされているのは視神経にいいストレスすら生まれない。

今、ムスメは8歳と2ヶ月である。

タイムリミットと言われる年齢をとうに過ぎた。

人間には『個人差』という曖昧な枠や『制限をかけないと奇跡が起こせる』それこそ『目には見えない力』がある。

私たちはそれを強く心から信じきっているから継続していけるのだ。

金メダルをとるつもりでオリンピックに挑むそれと同じように、ムスメにも臨んでいる。

私たちの合言葉は『後悔しないようにトレーニングをさせること』だ。

あと、2年もすれば眼科医からは免許皆伝となる。

そう、どんなに泣いても笑っても10歳までのデータしかこの世に存在しないのである。

ムスメは一生眼鏡ははずれない。

眼鏡をクラスメートからからかわれることを悲観したこともあったが、ワタクシは眼鏡をかけた方がかわいいと思っている。

それを伝えると速攻で否定してくるのだが、何度でも言ってやる。

ムスメが眼鏡を好きになるまで言い続けるつもりだ。






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by fairytalem | 2012-05-26 23:53 | つぶやき

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