来年もよろしくお願いします

こんにちは。

年内最後のご報告です。

先日、カルトナージュキットショップの『東日本応援企画キット』分の年内利益を南相馬市へ
東日本大震災による遺児等への支援のための寄附をしました。

『南相馬市の子どもたちの健やかな成長と生活の安定を支え、福祉の向上が図れるよう善意の寄附をいただき、長期的な支援を行っていきたい』との市の意向があり、わずがながら1万円送金いたしました。

…もう少し、応援キットが売れるとよかったのですが多分、他で寄付をされているので、もう十分と感じてしまうのはなんとなくわかります。

寄付について感じるのですが、『余裕のある人がすること』と思うのでしょうか?
実際、そうでしょうか…
『お金持ち』と言われる人は皆、寄付しますかね(笑)…すみません、お金持ちで寄付やボランティアに前向きな方には失礼しました<(_ _)>

余裕があるからするのか?と言ったら違うと思います。
だったら、もっと日本人は心豊かであったはずです。

あのマザーテレサから『日本人は心が貧しい国だから』と言われてしまったくらい、諸外国からの評価は堅実に働く我慢強い日本人という印象以上に貧しいと思われています。

マザーにそんなふうにはっきり言われて、自分のことのように恥ずかしい気がしました。

10月に小林正観さんが亡くなったのですが、正観さんの著書の中で、浮浪者からでもほどこしを受けることは、彼らに誇りと生を与えることになるのだから喜んでいただきなさいというような内容でした。
貧しい人から物やほどこしを受けることに悪いと感じるのは、傲慢です。
あなたから頂きますと受け入れること自体が、『調和』であったり自らの『歪さの解消』にな繋がることかもしれません。

物質での豊かさはある程度あれば、充分という感覚を意識するべきだと自分自身にも他者にも感じます。

人は放っておいたら、『もっともっと』と欲求は無限にあるのではないかとさえ思います。まるで子どものように。

今この地球にある資源だけでは足りないと言っているのは、本当でしょうか?

別の視点からでは、今の世界人口分を賄うくらいの資源はこの地球に充分あると言われています。

なのに何故『足りない』とメディアではいうのでしょうか。

一部の強い『欲望』がそう言わせているのかわかりませんが、貧困にあえぐ諸国がいまだにあること自体が、心が貧しい証拠ではないでしょうか。

その気になったら、飢餓で亡くなる子どもはひとりもいなくなることだってこの瞬間からできるのが私たちです。

何の根拠があって、『足りない』というのか。

では、『それなりにやっていけばいい』とは思う選択はないのでしょうか。

そもそも『分け合う』とかっていう行為も、『借り物』だとわかれば自分のものを誰かにあげたなんて感覚さえ間違っている(ちょっといいすぎ?)と思います。


今、私たちが手にあるもので自分のものは何ひとつありません。
震災で家が流されあっという間に手から離れてしまったことを実感された方々は、きっとそのことがよくわかったでしょうし、『借り物』であることをこの震災で露わになったのも事実です。

慎ましく、謙虚になどとは思いませんが、たくさんの無駄に囲まれた生活をそれぞれが見直すことを余儀なくされる前に何か小さな判断を始めてみませんか?


今年2011年を振り返って、小さな気づきと可能性の光針の先をしっかり掴んで離さないように、来年へバトンを渡したいと願います。

今年はキットショップでのたくさんの出逢った皆さまに感謝しています。
来年も、どうぞよろしくお願い申し上げます001.gif



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by fairytalem | 2011-12-31 17:03 | つぶやき

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